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「日本の教授も尹東柱を追悼するのに…恥だと思った」 31歳韓国人監督の誓い

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

孫章熙(ソン・チャンヒ)監督。[写真 孫章熙]

「悲劇的な生涯にも興味が引かれますが、戦争中でも変わらない価値を追求したことのほうが大きいようです」

白髪交じりの日本人女性が用心深く口を開き、このように話した。自分のことを「詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)を記念する立教の会」代表だと紹介したこの人物は、「尹東柱は(戦争に)振り回されず、純粋に不変の価値を詩で表現したが、日本人はその点に引かれる」と話した。女性が話を終わらせると、画面には京都の風景と共に尹東柱の詩がナレーションの声に乗って辺りに響いた。映画監督の孫章熙(ソン・チャンヒ)さん(31)が日本留学時代に学科の同期と作った映画『高原たかはら』の一場面だ。

「映画狂」だった孫さんは2014年大学を中退して日本に向かった。映画を深く勉強して映画監督になろうと思い立った。2016年京都造形芸術大学(現京都芸術大学)映画学科に入学した。かねてから尊敬していたイ・チャンドン監督が過去に教鞭をとっていた学校だった。


他郷で夢に向かって歩んでいた孫さんが尹東柱を映画で扱うことになったのは偶然のことがきっかけだった。2018年秋のある日、学科の建物の前にあった尹東柱の詩碑が目にとまった。普段ならそのまま通り過ぎていた詩碑だった。毎年尹東柱の忌日になると詩碑のもとを訪れるある日本人教授の話を聞いたことも大きかった。祖国の独立活動家を外国人よりも知らないという事実は恥だと思ったという。孫さんは卒業前に尹東柱の物語をカメラに収めなければならないと考えた。27歳の新米監督の挑戦はそのようにして始まった。

韓国と日本を数回行き来して資料を集めた。学科の同期が積極的に助けてくれ、京都市の支援事業に選ばれたことで作業に弾みがついた。詩碑が立てられた過程もこの映画を作る中で知った。尹東柱は1942年京都高原の武田アパートに下宿して同志社大学に通っていた。1年後、抗日運動に加担したという容疑で福岡刑務所に投獄され、獄中で亡くなった。その後、武田アパートは火災で全焼し、その跡地に京都造形芸術大学が建てられたという。学校側は2006年創立30周年を迎えて、映画学科の建物前に詩碑と留魂之碑を建立した。「尹東柱という人物がここにいたという事実を記憶する」という意味だったという。学校側は毎年尹東柱の追悼式を開いている。

孫さんは撮影中に新しい事実を知るたびに尹東柱の甥(長兄の息子)であるユン・インソク教授のもとを訪れて助言を聞いた。誤った内容を映画の中に入れることはできないという思いからだ。およそ2年後の2020年、孫さんの卒業作品でありデビュー作である『高原たかはら』が誕生した。孫さんは「ユン・インソク教授が映画を見た後、『京都に留まった叔父の最後の姿が目に浮かんだ』と話した瞬間、それまでの苦労が一瞬にして吹き飛ぶようだった」と笑った。

先月16日、孫さんは久しぶりに観客の前に立った。韓国近代文学館で映画の上映があったためだ。尹東柱の77周忌を迎えて彼をしのぶ行事だった。行事に参加した戸田郁子氏は「尹東柱は植民地の青年の残念で悲しいイメージが強かった」としつつも「この映画を見たら詩人が京都で送った時間を改めて考えることになった」と話した。

孫さんは引き続き日帝強占期に国内外で活動した人物に光を当てる映画を作りたいと話した。『高原たかはら』に続く後続作を予告する新米監督の声には力がみなぎっていた。「映画を作って尹東柱の別の一面に出会い心が震えた。このような感情をより多くの人々に感じてもらうためにカメラを回し続けていきたい」



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