1.進む道見つけられない日本
日本にも分配の風が吹いている。岸田文雄首相が掲げる「新しい資本主義」政策の核心特徴だ。「新しい」という1980年から40年間日本経済を貫いてきた新自由主義とは一線を画すという意味と解釈される。日本経済新聞は「自民党が経済政策の看板を変えるもの」とした。それこそ「脱アベノミクス」という解釈だ。アベノミクスは金融緩和・財政拡大・成長戦略の3本の矢で日本企業の競争力回復とともに雇用増加と株価上昇などマクロ指標が回復する成果を上げた。
だが日本国民はその変化を体感できずにいる。むしろ新型コロナのパンデミックで二極化の素顔があらわになり対策が急がれた。10日に任期が始まった岸田政権はすぐに40兆円を調達して18歳以下の国民に10万円を支援する案を出した。しかし世論は冷ややかだ。国民の67%が「適切でない」と反応した。海外の見方も否定的だ。フィナンシャル・タイムズは「岸田政権はバラ色の構想を実用的な計画として具体化しなければならない。いっそアベノミクスで成果が現れた部分にもっと集中すべき」と指摘した。8年間にわたり実施されたアベノミクスは国民が体感できるほどの成果を出すことはできなかったが、日本経済にある程度の活力を吹き込んだということだ。
◇所得停滞に陥った日本、分配の風が吹く
しかも日本は分配に力を入れる余力がない。分配を拡大するには政府財政が厚くなければならない。日本の国の債務は今年末に1212兆円で国内総生産(GDP)の217%に達すると予測される。1990年のバブル経済崩壊から財政支出を最大化し続けてきただけに規模をもっと増やせる状況ではない。2021年度歳入予算で新規国債発行は43兆5970億円と年間予算の40.1%に達し、歳出予算でも国債償還費用が23兆7588億円に達した。
こうした事情なのに分配のカードを切り出したのは過去の郷愁によるところが大きい。その郷愁は岸田首相率いる自民党の派閥、宏池会の政策基調にルーツを置く。宏池会は1957年に池田勇人が独自の政治勢力を育てて創設したもので、現在は自民党内の主要派閥として地位を確立した。池田は大蔵省官僚出身らしく1960年に首相になった後に所得倍増計画に着手して大衆的支持を得た。1960年からの10年間で国民所得を2倍に増やした。
日本のGDPは池田が就任した1960年の16兆円から、所得倍増計画が効果を出し始めた1970年には73兆3449億円と5倍近く急増した。この期間に米国と比べた1人当たりGDPは16%から39%に急上昇した。池田の在任中に日本は経済協力開発機構(OECD)加盟、国際通貨基金(IMF)総会開催、東京五輪開催など経済大国の柱を用意した。日本の全盛期に挙げられ日本国民がいまも懐かしがるいわゆる昭和時代の足場を確保したのも所得倍増時代だった。
だがそうした成功神話は過去の郷愁にすぎない。フィナンシャル・タイムズの社説が指摘したように日本はアベノミクスを通じて不十分ながら活力を生み出した企業競争力を再び強化するのが望ましそうだ。池田時代に所得が急増したのも日本企業の競争力向上のおかげだった。日本企業が米国企業を抜いて世界市場を席巻して高度成長が可能になり、日本国民の所得も速く増やすことができた。
2.過去へ回帰する中国
中国経済は巨大な転換点を迎えている。11日に中国共産党100年の歴史上3回目の歴史決議を通じて習近平国家主席の執権体制が強化され、国家資本主義の躍動性に変化の兆しが見えてだ。1978年に始まったトウ小平の改革開放政策が実を結んで高度成長に入った中国は、習主席体制に入って中国夢の始動をかけた。これはまもなく米国のヘゲモニーに挑戦する政策としてあらわれた。米国の本格的な牽制に直面することになった中国はこの3年間米国に正面から対抗してきた。
米国の攻撃にもしっかり耐え忍ぶかと思われた中国は意外なところで弱点を見せている。その弱点とは米国有数の戦略報告書であるフォーリン・ポリシーが提示した。「中国が近くピークに達し衰退期に入り込むだろう」という9月の報告書だった。偶然にもこの時期を前後して中国経済のあちこちで問題点が出てきた。深刻な電力難とともに恒大グループの不渡りの危機が露出してだ。フィナンシャル・タイムズ、ニューヨーク・タイムズ、ブルームバーグなど世界のメディアはこの時から事実上中国経済の脆弱性を連日生中継している。
【コラム】企業競争力のほかに頼れるものがなくなった韓日中3カ国の経済(2)
日本にも分配の風が吹いている。岸田文雄首相が掲げる「新しい資本主義」政策の核心特徴だ。「新しい」という1980年から40年間日本経済を貫いてきた新自由主義とは一線を画すという意味と解釈される。日本経済新聞は「自民党が経済政策の看板を変えるもの」とした。それこそ「脱アベノミクス」という解釈だ。アベノミクスは金融緩和・財政拡大・成長戦略の3本の矢で日本企業の競争力回復とともに雇用増加と株価上昇などマクロ指標が回復する成果を上げた。
だが日本国民はその変化を体感できずにいる。むしろ新型コロナのパンデミックで二極化の素顔があらわになり対策が急がれた。10日に任期が始まった岸田政権はすぐに40兆円を調達して18歳以下の国民に10万円を支援する案を出した。しかし世論は冷ややかだ。国民の67%が「適切でない」と反応した。海外の見方も否定的だ。フィナンシャル・タイムズは「岸田政権はバラ色の構想を実用的な計画として具体化しなければならない。いっそアベノミクスで成果が現れた部分にもっと集中すべき」と指摘した。8年間にわたり実施されたアベノミクスは国民が体感できるほどの成果を出すことはできなかったが、日本経済にある程度の活力を吹き込んだということだ。
◇所得停滞に陥った日本、分配の風が吹く
しかも日本は分配に力を入れる余力がない。分配を拡大するには政府財政が厚くなければならない。日本の国の債務は今年末に1212兆円で国内総生産(GDP)の217%に達すると予測される。1990年のバブル経済崩壊から財政支出を最大化し続けてきただけに規模をもっと増やせる状況ではない。2021年度歳入予算で新規国債発行は43兆5970億円と年間予算の40.1%に達し、歳出予算でも国債償還費用が23兆7588億円に達した。
こうした事情なのに分配のカードを切り出したのは過去の郷愁によるところが大きい。その郷愁は岸田首相率いる自民党の派閥、宏池会の政策基調にルーツを置く。宏池会は1957年に池田勇人が独自の政治勢力を育てて創設したもので、現在は自民党内の主要派閥として地位を確立した。池田は大蔵省官僚出身らしく1960年に首相になった後に所得倍増計画に着手して大衆的支持を得た。1960年からの10年間で国民所得を2倍に増やした。
日本のGDPは池田が就任した1960年の16兆円から、所得倍増計画が効果を出し始めた1970年には73兆3449億円と5倍近く急増した。この期間に米国と比べた1人当たりGDPは16%から39%に急上昇した。池田の在任中に日本は経済協力開発機構(OECD)加盟、国際通貨基金(IMF)総会開催、東京五輪開催など経済大国の柱を用意した。日本の全盛期に挙げられ日本国民がいまも懐かしがるいわゆる昭和時代の足場を確保したのも所得倍増時代だった。
だがそうした成功神話は過去の郷愁にすぎない。フィナンシャル・タイムズの社説が指摘したように日本はアベノミクスを通じて不十分ながら活力を生み出した企業競争力を再び強化するのが望ましそうだ。池田時代に所得が急増したのも日本企業の競争力向上のおかげだった。日本企業が米国企業を抜いて世界市場を席巻して高度成長が可能になり、日本国民の所得も速く増やすことができた。
2.過去へ回帰する中国
中国経済は巨大な転換点を迎えている。11日に中国共産党100年の歴史上3回目の歴史決議を通じて習近平国家主席の執権体制が強化され、国家資本主義の躍動性に変化の兆しが見えてだ。1978年に始まったトウ小平の改革開放政策が実を結んで高度成長に入った中国は、習主席体制に入って中国夢の始動をかけた。これはまもなく米国のヘゲモニーに挑戦する政策としてあらわれた。米国の本格的な牽制に直面することになった中国はこの3年間米国に正面から対抗してきた。
米国の攻撃にもしっかり耐え忍ぶかと思われた中国は意外なところで弱点を見せている。その弱点とは米国有数の戦略報告書であるフォーリン・ポリシーが提示した。「中国が近くピークに達し衰退期に入り込むだろう」という9月の報告書だった。偶然にもこの時期を前後して中国経済のあちこちで問題点が出てきた。深刻な電力難とともに恒大グループの不渡りの危機が露出してだ。フィナンシャル・タイムズ、ニューヨーク・タイムズ、ブルームバーグなど世界のメディアはこの時から事実上中国経済の脆弱性を連日生中継している。
【コラム】企業競争力のほかに頼れるものがなくなった韓日中3カ国の経済(2)
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