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【コラム】「生き残った者が勝者」朝鮮と日本の間の絶妙な実利外交(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

生活環境が劣悪だった対馬は朝鮮と交流して必要な物資の供給を受けた。朝鮮は強弱両面作戦を展開して対馬を統制しようとした。写真は対馬で韓国語通訳者を養成する韓国語学校があった寺。[中央フォト]

宗義智は諦めず、倭乱の時に捕まえてきた朝鮮人160人を送還した。誠意を表したものだった。また「新たに執権した徳川家康は秀吉の侵略に加担しなかった」とし、朝鮮が通信使を派遣して徳川政権と講和を結ぶことを求めた。あわせて朝鮮が拒否し続ければ再侵される可能性もあると脅迫した。


長期間の戦争で国力が枯渇したうえに明軍も撤収した状況で朝鮮は慌てるほかなかった。朝鮮側は「明カード」を再び切った。「戦争以降、明の許可なく日本とむやみに接触できない」と言い逃れた。また、遼東に連絡して明軍の将軍を釜山まで呼び入れた。明軍の威勢を借りて再侵の脅威に対抗しようとする「狐仮虎威」戦術だった。1605年釜山に来た明軍の将軍劉興漢は対馬の使者の前で訓示を打つ。「お前たちが朝鮮を再び侵略することに備えて明軍数万人が平安道(ピョンアンド)に待機中だから退け」という内容だった。対馬の使者は劉興漢の怒号に「はい」といいながら服従するふりをした。



【コラム】「生き残った者が勝者」朝鮮と日本の間の絶妙な実利外交(1)

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