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【コラム】「生き残った者が勝者」朝鮮と日本の間の絶妙な実利外交(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

対馬にある朝鮮通信使碑。朝鮮通信使は朝鮮時代に日本の幕府将軍に派遣した外交使節を指す。対馬島主が朝鮮政府と日本幕府の連絡役を果たした。[写真 ハン・ミョンギ]

日本の西端に位置した対馬島は辺境地である上に生活環境が劣悪な土地だった。島の大部分が山岳で覆われて土まで痩せていて農業生産は非常に貧弱だった。米をはじめ生活必需品を自給できなかった対馬島の人々は早くから近くの朝鮮に手を広げた。交易をしていた渦中にも朝鮮はもちろん中国沿海まで進んで倭寇活動、海賊行為を繰り返した。


倭寇の侵略に苦しめられた朝鮮は、強弱両面政策を通じて対馬島を統制しようとした。1419年〔世宗(セジョン)1〕、李従茂(イ・ジョンム)の指揮の下、軍用船227隻と兵力1万7000人余りを送り込んで征伐したのが強硬策の代表的な事例だ。だが、以後朝鮮は対馬島を優待して懐柔する方向に政策を転換する。島主宗氏に倭寇を取り締まり朝鮮を往来する日本人に対する統制任務を任せる対価として貿易独占権を与えた。また、毎年米穀数百石を下賜し、綿布・麻布・高麗人参・虎皮・豹皮・鷹などあらゆる物資を供給した。事実上、対馬島を養っていたようなものだった。



【コラム】「生き残った者が勝者」朝鮮と日本の間の絶妙な実利外交(2)

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