李明博(イ・ミョンバク)政権は1回KO負けを喫した。2008年4月、BSE(牛海綿状脳症)事態が決定打だった。2007年末の大統領当選直後には70%を超えていた支持率も21%で急転直下した。わずか4カ月で国民の心は離れた。最高経営責任者(CEO)出身の大統領に期待した規制緩和や公企業民営化など改革課題は推進力を失った。驚くことに政権の序盤に事実上のレームダックが始まったのだ。
なぜそうなったのだろうか。その短い期間に国民は大小の傷を負った。政府は特権層のにおいを漂わせ、特定階層向けのあいさつをした。国民の同意なく大運河に固執した。「良い暮らしをする国をつくるというのに何の問題があるのか」と言って強行した。自己過信だった。勝者独占の態度が表れた。見守る国民の胸の中にはうっ憤がたまっていった。
こうした中でBSE怪談が出てきた。悪意的なフェイクニュースだったが、政府は心が離れた国民を説得することができなかった。政府が米国に好意的な態度を見せるために国民の生命を売ったと多くの人が考えた。たまった怒りはいつのまにか疑惧に変わっていった。「大統領は国民の痛みを自身の痛みとして感じているのだろうか」。李大統領はBSE事態から2カ月が経過してから「青瓦台(チョンワデ、大統領府)の裏の山に登って自らを叱責した」と述べながら謝罪した。タイミングを逃した後だった。
朴槿恵(パク・クネ)政権の悲劇が始まったのは2014年4月の旅客船「セウォル号」惨事だ。珍島(チンド)彭木(ペンモク)港に行った朴大統領が犠牲者の家族と会った場面がテレビで生中継された。家族は体育館で泣き叫んでいた。大統領は壇上で質問を受けた。壇上の周辺には体格の大きな警護員が立っていた。その距離ほど大統領と国民の心は離れていた。
朴大統領が体育館の床の上で髪をほどき、犠牲者の家族を抱擁しながら、数日間一緒に涙を流して痛みを分担していればどうなっていただろうか。ソウル光化門(クァンファムン)広場にセウォル号のテントがあれほど長く設置されていることはなかっただろう。セウォル号当日の大統領の7時間が繰り返し取り上げられることもなかっただろう。国民は大統領が悲しみを共有しないと考えた。また疑惧の念が強まった。「大統領は国民の痛みを自身の痛みとして感じているのだろうか」。朴大統領は不安な民心を読めなかった。無神経に対処して態度が表れた。レームダックは執権2年目のセウォル号の時に始まった。
その後、大統領に対しては不通、幽体離脱話法、門番、秘線実力者などの批判が絶えなかった。大統領が国民を心配するのでなく、国民が大統領を心配する状況が続いた。セウォル号で生じた不信感は結局、弾劾につながった。李明博大統領と朴槿恵大統領は国民の生命と安全がかかる問題に対して自分のことのように情熱を注がなかった。国民の信頼を失い、政権の失敗につながった。
文在寅(ムン・ジェイン)政権はどうか。変わったのだろうか。そうではないようだ。昨年のチョ・グク法務長官事態では詭弁で側近をかばう姿を見せた。国民を傷つけた。与党は高位公職者犯罪捜査処設置と選挙制の改編を強行した。傲慢と独善は全体主義を感じさせた。国民はまた身震いした。過去の大統領の一方通行がオーバーラップした。政府の看板だけが保守から進歩に変わっただけで、国民に対する思考の枠は全く同じだった。「我々はなぜ大統領に恵まれないのか」と嘆く声が出てきた。また国民の胸中の憤りが強まった。
ちょうどこの時期に新型コロナ事態が生じた。BSEやセウォル号のようにコロナは国民の生命と安全がかかる重大な事案だ。チョ・グク長官事態より10倍、100倍も爆発力が強い。災難は災難にすぎないと考えれば大間違いだ。セウォル号が事故にすぎないと考えたのがどれほど誤った判断だったのか。政権の最大の危機という事実に気づいていないのか、政府は中国の習近平主席の訪韓にこだわった。内部の事情はともかく、まごつく姿を見せて中国入国を防ぐことができなかった。タイミングを逃し、コロナを大惨事に拡大させた。大統領が望んだように中国と「一体」になった。その代償として国民の生命が脅かされ、全世界が嫌悪する国になった。
政府の対処は国民の保護より政権の利益と政治的な計算を優先するようだ。この渦中にもコロナ事態の責任を転嫁するためのフレーム作りに余念がない。「中国から来た韓国人のため」と自国国民を槍玉に挙げた。「文大統領は中国の大統領か」という声が広がり、大統領弾劾請願が140万人を超えた。
李明博大統領と朴槿恵大統領は涙ぐんで謝罪でもしたが、文大統領はそのようにしていない。謝罪と慰めが抜けた三一節(独立運動記念日)の演説は感動がなかった。「大統領として国民が苦痛を受けて申し訳なく思い、胸が痛む」という心からの一言がそれほど難しいのだろうか。謝罪するようなことはないと考えているのだろうか、それとも、謝罪をすれば責任を負うことになると恐れているのかもしれない。
BSE・セウォル号当時のように大統領に対する疑惧の念が強まっている。いや、「大統領は国民の痛みを自身の痛みとして感じていないようだ」という怒りに変わっている。大統領と国民の間に不信感が形成される瞬間、死神のようにレームダックが訪れてくる。今までもそうであったし、今後もそうだろう。レームダックの後、以前の支持と国政推進力を回復した政権はなかった。
コ・ヒョンゴン/論説室長
なぜそうなったのだろうか。その短い期間に国民は大小の傷を負った。政府は特権層のにおいを漂わせ、特定階層向けのあいさつをした。国民の同意なく大運河に固執した。「良い暮らしをする国をつくるというのに何の問題があるのか」と言って強行した。自己過信だった。勝者独占の態度が表れた。見守る国民の胸の中にはうっ憤がたまっていった。
こうした中でBSE怪談が出てきた。悪意的なフェイクニュースだったが、政府は心が離れた国民を説得することができなかった。政府が米国に好意的な態度を見せるために国民の生命を売ったと多くの人が考えた。たまった怒りはいつのまにか疑惧に変わっていった。「大統領は国民の痛みを自身の痛みとして感じているのだろうか」。李大統領はBSE事態から2カ月が経過してから「青瓦台(チョンワデ、大統領府)の裏の山に登って自らを叱責した」と述べながら謝罪した。タイミングを逃した後だった。
朴槿恵(パク・クネ)政権の悲劇が始まったのは2014年4月の旅客船「セウォル号」惨事だ。珍島(チンド)彭木(ペンモク)港に行った朴大統領が犠牲者の家族と会った場面がテレビで生中継された。家族は体育館で泣き叫んでいた。大統領は壇上で質問を受けた。壇上の周辺には体格の大きな警護員が立っていた。その距離ほど大統領と国民の心は離れていた。
朴大統領が体育館の床の上で髪をほどき、犠牲者の家族を抱擁しながら、数日間一緒に涙を流して痛みを分担していればどうなっていただろうか。ソウル光化門(クァンファムン)広場にセウォル号のテントがあれほど長く設置されていることはなかっただろう。セウォル号当日の大統領の7時間が繰り返し取り上げられることもなかっただろう。国民は大統領が悲しみを共有しないと考えた。また疑惧の念が強まった。「大統領は国民の痛みを自身の痛みとして感じているのだろうか」。朴大統領は不安な民心を読めなかった。無神経に対処して態度が表れた。レームダックは執権2年目のセウォル号の時に始まった。
その後、大統領に対しては不通、幽体離脱話法、門番、秘線実力者などの批判が絶えなかった。大統領が国民を心配するのでなく、国民が大統領を心配する状況が続いた。セウォル号で生じた不信感は結局、弾劾につながった。李明博大統領と朴槿恵大統領は国民の生命と安全がかかる問題に対して自分のことのように情熱を注がなかった。国民の信頼を失い、政権の失敗につながった。
文在寅(ムン・ジェイン)政権はどうか。変わったのだろうか。そうではないようだ。昨年のチョ・グク法務長官事態では詭弁で側近をかばう姿を見せた。国民を傷つけた。与党は高位公職者犯罪捜査処設置と選挙制の改編を強行した。傲慢と独善は全体主義を感じさせた。国民はまた身震いした。過去の大統領の一方通行がオーバーラップした。政府の看板だけが保守から進歩に変わっただけで、国民に対する思考の枠は全く同じだった。「我々はなぜ大統領に恵まれないのか」と嘆く声が出てきた。また国民の胸中の憤りが強まった。
ちょうどこの時期に新型コロナ事態が生じた。BSEやセウォル号のようにコロナは国民の生命と安全がかかる重大な事案だ。チョ・グク長官事態より10倍、100倍も爆発力が強い。災難は災難にすぎないと考えれば大間違いだ。セウォル号が事故にすぎないと考えたのがどれほど誤った判断だったのか。政権の最大の危機という事実に気づいていないのか、政府は中国の習近平主席の訪韓にこだわった。内部の事情はともかく、まごつく姿を見せて中国入国を防ぐことができなかった。タイミングを逃し、コロナを大惨事に拡大させた。大統領が望んだように中国と「一体」になった。その代償として国民の生命が脅かされ、全世界が嫌悪する国になった。
政府の対処は国民の保護より政権の利益と政治的な計算を優先するようだ。この渦中にもコロナ事態の責任を転嫁するためのフレーム作りに余念がない。「中国から来た韓国人のため」と自国国民を槍玉に挙げた。「文大統領は中国の大統領か」という声が広がり、大統領弾劾請願が140万人を超えた。
李明博大統領と朴槿恵大統領は涙ぐんで謝罪でもしたが、文大統領はそのようにしていない。謝罪と慰めが抜けた三一節(独立運動記念日)の演説は感動がなかった。「大統領として国民が苦痛を受けて申し訳なく思い、胸が痛む」という心からの一言がそれほど難しいのだろうか。謝罪するようなことはないと考えているのだろうか、それとも、謝罪をすれば責任を負うことになると恐れているのかもしれない。
BSE・セウォル号当時のように大統領に対する疑惧の念が強まっている。いや、「大統領は国民の痛みを自身の痛みとして感じていないようだ」という怒りに変わっている。大統領と国民の間に不信感が形成される瞬間、死神のようにレームダックが訪れてくる。今までもそうであったし、今後もそうだろう。レームダックの後、以前の支持と国政推進力を回復した政権はなかった。
コ・ヒョンゴン/論説室長
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