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【コラム】犬豚として生きてみたところ=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
犬豚。最近の世相を貫く代表キーワードはダントツで「犬豚」ではないかと思う。ジョージ・オーウェルの寓話小説『動物農場』が不吉な預言書として読まれていた現政権序盤から、いよいよ人々の話題に上り始めたと思ったら、昨年9月チョ・グク前法務部長官任命前後でついに国民単語になった。道徳性と偽善はさておき、あらゆる疑惑で一家が捜査を受けるような人物をあえて法務部長官に座らせたことに対し、李彦周(イ・オンジュ)議員は抗議の意味で断髪して「国民を犬豚とみている」と刃先を向け、羅卿ウォン(ナ・ギョンウォン)当時自由韓国党院内代表も「国民が『私たちを犬豚とみているのか』と怒っている」と声を高めた。国民を無視するような傲慢な人事権行使と突然向き合うことになった普通の人々も茫然自失のまま光化門(クァンファムン)広場に飛び出して「私たちは犬豚ではない」と抗弁しなければならなかった。

目を引くのは、犬豚の一番の徳目である盲目的支持を一生懸命に実践しているこの政権支持者も「犬豚」という単語を積極的に活用している点だ。たとえば、ある全教組(全国教職員労働組合)所属教師は高等学校の教室でチョ・グク関連のニュースはすべてフェイクだとして「“チョ・グク”ニュースを信じれば犬豚」と話し、チョ・グクの話が出てくるだけで理性を失いかける小説家・孔枝泳(コン・ジヨン)は「これ(チョ長官の落馬)が受け入れられれば、私たちは朝・中・東・自韓(主要保守報道機関と自由韓国党)に対して永遠に犬豚」とし、「チョ・グク反対=犬豚」公式を当てはめて扇動の先頭に立ってきた。

一言で今、大韓民国は互いが互いを犬豚だと指し合いながら真っ二つに分かれた。国民を犬豚とみている勢力が誰なのか、また、誰が犬豚役を自任しているのかは各自考えが違うだろうが、どちら側の意見に従っても、私たちがいま犬豚の境遇であることだけは確かなようだ。


これだから「羅向ウク(ナ・ヒャンウク)の再発見」という自嘲的な嘆きまで市中に飛び交う。朴槿恵(パク・クネ)政権で教育部政策企画官だった羅向ウク氏は、2016年記者団との食事の席で映画『インサイダーズ/内部者たち』に遠回しに言及し、「99%の民衆は犬や豚、日々食べて生きていけるようにすればよい」と発言して罷免された。わずか数年後、このように犬豚国の国民になってみると、彼が真実を話していたのではないかとさえ思う。

ただし、その時彼は食べていけるようにすればよいと言ったが、長くはこの政府が発足した2017年5月から、短くはチョ・グク事態が大きくなった昨年8月から実際に犬豚として生きてみると、やはりそれは違うと思った。新年記者会見で、文大統領はチョ・グク前長官に言及して「今まで体験した苦労だけでも、心に大きな負い目を感じている」として国民に対して「そろそろ許してやってほしい」と話した。国民がノーを突きつけている人物をあえて使い、国を二分しておきながら犯罪で取り調べを受けていることを「苦難」と表現し、かえって国民のせいにするとは、いくら私たちが犬豚だとしてもこれほどになれば腹を立てざるをえない。よほどでなければ、前回の大統領選挙の時に文大統領を支持した故金泳三(キム・ヨンサム)元大統領の次男・賢哲(ヒョンチョル)氏が「大統領という者が記者会見気取りで国民を犬豚として見て蔑視している」と猛攻を浴びせることはなかっただろう。


【コラム】犬豚として生きてみたところ=韓国(2)

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