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【噴水台】絶望を救った2人のプリツカー賞受賞日本人

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
プリツカー賞は建築界のノーベル賞と呼ばれる。それだけで最高の権威だ。その受賞者が興味深い。特に今年と昨年がそうだ。2回とも日本人だ。国籍よりも重要な共通点がある。

昨年の受賞者・伊東豊雄氏は「せんだいメディアテーク」で有名だ。鉄とガラスだけでつくったが東日本大震災でもびくともしなかった。昨年は地震被災者の憩いの場である「みんなの家」を作った。地震と津波で倒れた松のように現地で簡単に手に入れられる材料を使った。

今年の受賞者、坂茂氏はニックネームが「紙の建築家」だ。丈夫に圧搾して防水加工した紙パイプが主な建築材料だ。1994年にルワンダ大虐殺の時、それで難民シェルターを作った。以後20年間、世界のあちこちの災難地域を訪れてシェルターを作った。


難民に関心を持つ建築家の2年連続プリツカー賞の受賞には、明らかに含意がある。建築が社会的責任に視線を転じているということだ。自然災害は言うまでもなく大事故やテロ、その上金融危機まで苦痛を受ける現代人を建築がいかに慰められるかを熟考するのだ。

疲れた心を癒すのに必ず必要なものは、自尊心だ。慈善が積善になっては傷を深めるだけだ。2人の建築家が考えたのがそれだった。人間の尊厳性を守る慰労ということだ。「みんなの家」はサイズは小さくてもテラスまで備えた心地よい住居だ。値段が安い紙で作っても、難民が最低限の品位を維持することに重点を置いた。

こうしたアイデアが最も切実なところが珍島(チンド)体育館だった。他人と肩が触れ合うほどの狭い空間に、発砲スチロール1枚・布団1組に頼っているのが犠牲者家族だ。冷たい水の中の子供のことを思えば、それも贅沢かもしれない。だが、それほど不安な心理状態であるほど、より一層温かく包んであげなければならない。

坂氏は、被災者を受け入れた体育館に仕切りを設置した。紙パイプとカーテンで格子形の家族単位の空間を作った。95年の阪神淡路大震災の時もすでにそうしていた。狭くても細やかな空間の中で、被災者らは社会の中の深い配慮を感じた。芽生える再起の希望に触れたことだろう。

珍島体育館でも仕切りの要請があったが、うやむやになったという話が聞こえる。残念な現実だ。事故を防ぐことができなかったとすれば、治癒はこうしたところから始めなければならない。絶望の第2次感染から防がなければならないということだ。誠意と配慮というワクチンが抜け落ちた場所に、絶望ウイルスが繁殖する。すでに多くの国民がそれにさらされている。



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