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「クイーン」彼女自身がまさに歴史だった…英国女王エリザベス2世が逝去(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

英国女王エリザベス2世(左)と王配のフィリップ卿。[写真 中央フォト]

「生ける現代史」「イギリス連邦最長在任君主」--。

70年の在位中、英国はもちろん全世界の人々の敬愛を受けてきたエリザベス2世女王が8日(現地時間)、亡くなった。96歳。英国王室は女王がこの日午後、スコットランドのバルモラル城で安らかに息を引き取ったと明らかにした。王位継承権者である長男チャールズ皇太子が直ちにチャールズ3世として国王の座を受け継いだ。

高齢の女王は今月6日、バルモラル城でボリス・ジョンソン前英国首相辞任の報告を受けて、リズ・トラス新任首相を任命する行事を行った。杖をついたままで明るい笑顔を大衆に見せたのが最後の姿だった。スコットランド北東部アバディーンシャー地域にあるバルモラル城は、通常、女王が長い夏休みを過ごす場所だ。


任命行事の翌日、主治医の勧告を聞いて女王が日程を取り消したという便りに続き、8日の朝検診で「健康が懸念される」という判断があったという。異変を感じたチャールズ皇太子やウィリアム王子ら王室家族はバルモラル城に駆けつけた。英国国民はこれに先立ち、今年2月に新型コロナウイルス(新型肺炎)感染も克服した女王の回復を祈ったがこの日を越せないまま逝去の知らせを聞くことになった。

1926年に生まれたエリザベス2世の実名はエリザベス・アレクサンドラ・メアリー。1952年26歳という若さで英国と北アイルランド連合王国である英連邦(コモンウェルス)の女王に即位した。その後、70年間女王の地位を維持し、歴史上最長の英連邦君主として記録された。これまでの最長記録は高祖母であるビクトリア女王の63年7カ月だった。現在、英連邦に含まれた国々は英国・オーストラリアなどを含めて54カ国だ。

その一生は現代史そのものだった。王女時期だった第2次世界大戦当時、英国陸軍として参戦し、即位後は英国植民地の独立を見守った。在任期間中、米ソの冷戦対立、共産圏の崩壊とドイツ統一、欧州連合(EU)発足と英国の脱退(ブレグジット)など激動が続いた。女王が会った米国大統領だけ14人となり、6日に就任したトラス首相が女王に仕えた15人目の英国首相だ。

父親は映画『英国王のスピーチ』の主人公であるジョージ6世。兄エドワード8世の突然の退任(1936年)でジョージ6世が国王となり、長女のエリザベス2世は後継第1位に上がった。その後、父親が第2次大戦後に病気で亡くなると直ちに女王に即位した。即位翌年の1953年、ウェストミンスター寺院で開かれた戴冠式はテレビを通じて全世界に生中継され、2500万人が見守った。

女王は「君臨すれども統治せず」という王室の伝統を守った。首相任命権者だが議会の決定を尊重し、議会の施政方針演説でも総理室が作成した原稿を受け入れた。1週間に一度ある首相との面談の時も直接的な意見を表明しないという原則を守った。今年6月に盛大に行われた即位70周年記念のプラチナ・ジュビリーには君主制に反対する人々さえもこれを祝った。

在任中には英連邦国家を巡回して、王室の権威を維持することに努力した。訪問そのものが歴史になった瞬間もあった。1965年、当時の西ドイツ訪問は第2次大戦後、初めて戦争の終結を象徴する外交行事になった。また2011年には、旧植民地だったアイルランド共和国を訪問し、長く続いた葛藤の縫合に努力した。当時「私たちは皆、過ぎた歴史の中で過度な苦痛を受けてきたという事実が悲しく遺憾に思う」と述べた。


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