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【コラム】恥を知ること=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
自己嫌悪、恥ずかしさ。最近、繰り返し頭をよぎる言葉だ。今年に入って何度、夜中にふとんを蹴飛ばして起きたことだろうか。短い時間に多くの「ふとんキック」場面があった。

今年に限られたことでもない。年齢を重ねるほど恥も積もっていく。知恵、成果、満足感、空っぽの通帳の残高はすべて増減を繰り返すが、自分の恥の値はずっと右肩上がりだ。目指していた立派な人間から遠ざかるのも、怒りを感じた不当と知らないうちに妥協するのも、自らまた別の不当を生み出しているのも、情けない失敗と過ちを繰り返すのも。朝方には耐えがたい恥ずかしさとして返ってくる。

このように恥ずべきことばかりだが、時々は恥じることが慰めになったりもする。恥ずかしさを感じること、失敗は多いが少なくとも恥を知る人間という事実が小さな慰めを与える。これはまた一日を乗り越えてより良い一日を生きていく力になる。恥ずかしさがもたらす苦痛と不安を知っているためだ。それを二度と感じたくないために。少しでも良い人間になろうという努力につながる。


もし恥じることがなくなれば、おそらく希望さえも探せなくなるだろう。このような状態になった人たちを「破廉恥」という。破廉恥になれば自ら改善する可能性はほとんど消える。恥を知らないため過ちの原因もいつも外側に向かう。

破廉恥なことは世の中にそれほど多くないが、残念ながらニュースでは毎日接する。多く人たちが血を流してつかんだ民主主義とその苦痛の過程を侮辱する人、幼稚園の不正で親の不信感が激しいが「左派教育のため」を云々して理念論争をする人たちがまず思い浮かぶ。それ以外にももちろん多い

この人たちに、恥といえば真っ先に思い浮かぶ詩を勧めたい。この時期になると思い出す詩人でもあり、彼の人生と作品を吟味すれば恥を知るのにプラスになると思われるからだ。「人生は生きづらいというが/詩がこのようにたやすく書けるとは/恥ずかしいことだ」 (尹東柱、『たやすく書かれた詩』)

誰もが知っているように、尹東柱は特に過ちがないだけでなく、むしろ一点も恥じなくてよいほど高貴な人生と作品を残した。しかし毎瞬間、葉に吹く風にも苦しんで恥じた。本当に恥ずべき人たちをとがめるように。参考に「5・18妄言」に怒った光州(クァンジュ)市民が街に出てきた16日は、74年に前罪のない詩人が他国の監獄で苦痛の中で息を引き取った日だった。誰でも過ちを犯すが、恥じることを知って生きていくべきだろう。

ユン・ジョンミン/コンテンツチーム記者



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