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【コラム】ロシアも制圧した朝鮮鳥銃部隊、なぜ消えたのか(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

「東莱府使殉節図」。東莱城は日本軍の圧倒的戦力のため2時間で陥落した。(中央フォト)

◆ロシア軍を撃破した朝鮮鳥銃部隊

努力は実を結んだ。壬辰倭乱末の1597年1月、判中枢府事の尹斗寿(ユン・ドゥス)が鳥銃を製造できる投降倭人をソウルに呼んで鳥銃を製作させようと建議すると、宣祖は「我々の職人もうまく作ることができる」として受け入れなかった。国内の製作技術がそれなりのレベルになっていたことが分かる。

朝鮮の鳥銃開発が結果に結びついたのは半世紀ほど過ぎた羅禅征伐だ。清はアムール川一帯まで進出したロシア軍隊と衝突したが、戦力で劣勢になると、朝鮮に鳥銃部隊の派兵を要請した。


朝鮮・清連合軍はロシア軍に対抗して勝利したが、清側は当時活躍した朝鮮鳥銃部隊の実力に驚いた。1次羅禅征伐の成果を受け、清側は2次羅禅征伐でも鳥銃部隊の派兵を要求した。当時、朝鮮のベテラン射手200人が投入されたが、彼らは清側の鳥銃部隊の要請で射撃の手本を見せるほどすでに圧倒的な実力の差が認められていた。

2次羅禅征伐で朝鮮・清連合軍は大勝した。ロシア軍は戦死者220人を出した半面、朝鮮軍は8人にすぎなかった。ロシアの南下は中断し、清とロシアはネルチンスク条約を結んで現在の領有権を認めるラインで終わった。

当時、欧州では一定の隊形を組んで一斉に射撃をする方法が一般的だったが、全国から特等射手として厳選された朝鮮鳥銃手はマスケットで照準射撃し、命中率が高かったという。

しかし鳥銃が朝鮮の歴史の記録でスポットライトを受けたのはこの時が最後だった。朝鮮ではその後200年間ほど戦乱がなく、支配層は朋党政治に巻き込まれ、国防力の確保より性理学的秩序の確立に没頭することになった。また、三政の紊乱で租税秩序が崩れ、新しい技術開発どころか、鳥銃部隊を維持する国防費の確保さえも難しい状況になった。

その後の丙寅洋擾や辛未洋擾などの歴史では朝鮮鳥銃部隊の活躍像は見られない。辛未洋擾でも朝鮮軍は343人の戦死者が発生したが、退却した米軍は戦死者3人にすぎなかった。200余年前の羅禅征伐でロシア軍を阻止したのとは違い、朝鮮の劣悪な戦力は列強の侵略を阻止するのに対応できなかった。

先日、サイモン・テイラー英ケンブリッジ大経済学科教授は韓国メディアのインタビューで「原子力発電所技術が世界最高レベルの韓国が脱原発をする理由が気になる」とし「時間が過ぎれば海外原子力発電所の受注も難しくなり、産業基盤が瓦解する恐れがある」と述べた。有力と期待された英国の原発受注が失敗しながら出てきた指摘だ。

原発技術は韓国が元祖ではないが、数十年間にわたり国家的な育成努力と多くの税金を投入し、世界的なレベルを確保することになった産業だ。今はその収穫を得る時たが、予想できない難関に直面している。政権が交代するたびに政治的な判断で核心産業の興亡が左右されれば後に悔やむことにならないか心配だ。



【コラム】ロシアも制圧した朝鮮鳥銃部隊、なぜ消えたのか(1)


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