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【旅行】日本の九州の陶磁器、名所探訪(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

唐津の肥前名護屋城から眺めた玄海灘。この城から倭軍12万人が朝鮮に向けて出撃した。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の当時、この一帯には10万人余りが暮らしていたという。

陶磁器製の李参平(イ・サムピョン)像の前で14代目が明るく笑っている。間違いなく韓国人の顔だ。

今回の九州旅行は、旅行というよりは踏査に近かった。九州に行った朝鮮陶磁器の現場を見て回る旅は、結局は複雑に絡んだ韓日両国の歴史を掘り返すことだった。

陶磁器をのぞき見るほどに歴史が見えたし、人が見えた。場合によってはデリケートな部分を問い質す韓国人記者の前で、日本人は一度も嫌な表情をつくらなかった。

◆新興陶磁器の名所-波佐見


九州の朝鮮陶磁器を見回す前に、まず知っておくべきことがあるがある。陶磁器、日本語で「--焼」の正確な意味だ。陶磁器は、陶器と磁器を合わせた言葉だ。2つを簡単に区分する方法がある。陶器は土をこねて焼いた器だ。土器と製作原理が同じだ(土器がはるかに原始的だ)。一方、磁器の原料は土ではなく石だ。石をすりつぶした後、水と一緒に練りこねて器を形作る。

波佐見にまず立ち寄った。人口1万5000人余りのこの小さな町が現在、日本食器の15%を生産している。「価格が手頃な上にデザインが洗練されていたから」というのが一真窯の真崎善太代表(57)の説明だ。一真窯は1925年に創業した波佐見焼きの新興強者だ。

波佐見も磁器の本場だ。磁器の窯だけで150に達する。歴史も深い。1598年に朝鮮陶工の李祐慶(イ・ウギョン)が窯をつくったという記録が伝えられる。長さ22メートルの日本最大の窯は現在復元中だという。しかし波佐見焼は最近まで広く知られていなかった。理由がある。波佐見から車で10分ほどの場所に有田があり、40分ほど行けば伊万里がある。波佐見焼は有田・伊万里焼と混ざり伊万里港から船に積まれて日本はもちろん全世界に売られた。波佐見焼は次第に有田焼と、また時には伊万里焼とも呼ばれた。韓国にも類似の例がある。盈徳(ヨンドク)ズワイガニがそうで、春陽木(マツの木)がそうである。

波佐見で印象的な場所は西の原の工房だった。かつての陶磁工場の場所にカフェ・ギャラリー・工房10カ所余りが集まっていた。多彩に整えられた様子を見て九州の温泉名所、由布院を思い浮かべた。東京でも訪ねてくる人がいるらしく、すぐに韓国でも人気を呼びそうだった。波佐見で陶磁器は魅力的な観光資源だった。

◆陶磁の神の悲しい顔-有田

日本の陶磁器の歴史が壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に連れて来られた朝鮮人によって始まったというが、壬辰倭乱の前にも日本の土器はあった。朝鮮人が日本に伝えた技術は磁器に関するものが大部分だった。陶器は通常1000度で焼くが、磁器は1300度以上で焼く。その300度の差を、当時の日本人は克服できなかった。難題はもう1つあった。日本人は磁器の原料として使われる石を見分ける目がなかった。磁器をこねるには質の良い高麗土(白土)の原石を見分けなければならなかった。



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