この映画で、朴監督は朝鮮学校閉鎖令の背後に連合軍総司令部(GHQ)の圧迫があったことを強調する。在日朝鮮人史を専攻した明治学院大学の鄭栄桓(チョン・ヨンファン)教授は製作スタッフとのインタビューで、解放当時に第8軍司令官のロバート・アイケルバーガー中将の日記を証拠として提示した。
鄭教授は「日記を見ると1948年4月の時点で『朝鮮で起きた暴動』という表現がある。これは済州4・3事件のことだが、彼は日本の朝鮮人が『アカ』と連帯して在日占領軍(米国極東軍)を困難に陥れるデモを起こすかもしれないという危険性を考えていた」と説明した。
日本政府の朝鮮学校差別70年、涙に濡れた「4・24」(1)
鄭教授は「日記を見ると1948年4月の時点で『朝鮮で起きた暴動』という表現がある。これは済州4・3事件のことだが、彼は日本の朝鮮人が『アカ』と連帯して在日占領軍(米国極東軍)を困難に陥れるデモを起こすかもしれないという危険性を考えていた」と説明した。
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