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米国の悪党を倒す日本の英雄・力道山 「朝鮮人」カミングアウト後に疑問死(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

力道山が米国のレスラーを攻撃している。日本人は「米国」を倒す力道山に歓呼した。(中央フォト)

東京・池上本門寺の力道山の墓には彼の青銅像がある。

力道山。この漢字を日本人は「りきどうざん」と読み、韓国では「ヨクトサン」、北朝鮮では「リョクトサン」と読む。この固有名詞を読む時、北東アジア3カ国の国民の情緒と印象は異なる。日本の社会学者、板垣竜太氏は論文「東アジアの記憶の場としての力道山」(歴史批評2011年5月号)で「力道山という人物には日本人・朝鮮人・韓国人としての国民性または民族性が付与され、投影された」という論旨を展開する。それぞれ異なる発音で呼ばれる力道山の中に日本の植民支配、米国に対する日本人の感情、民族差別、太平洋戦争、冷戦と脱冷戦など東アジアの歴史が絡んでいるということだ。

金信洛(キム・シンラク、力道山の本名)は1924年に咸鏡南道洪原郡(ホンウォングン)で生まれた。相撲の才能に恵まれていた彼は横綱を夢見て日本に渡り、相撲界に飛び込んだ。しかし日本人の視線と差別に苦しんで力士の象徴である髷(まげ)を自ら切った。当時、日本で胎動期だったプロレスに足を踏み入れた力道山はハワイで1年間修行した後に帰還した。

力道山が日本の英雄になったのは1954年2月のシャープ兄弟との対戦がきっかけだ。相撲出身の力道山と柔道出身の木村政彦がタッグを組んだ。「日本人の胴ほどある太もも、食パンを詰めたような腕の筋肉に胸と腹部に毛が生えた」怪物として描写されたシャープ兄弟は、太平洋戦争で日本を打ち負かした米国人の典型だった。力道山は相撲の技を生かした空手チョップで彼らを倒した。日本人は歓呼し、感激して涙を流したりもした。「ショーマン」が作った完璧な代理満足だった。力道山はその後、反則を繰り返す米国の悪党を懲らしめる正義の味方になった。力道山の試合は、当時普及し始めた白黒テレビで放送され、日本人の絶対的な人気を得た。「天皇の次は力道山」という声が出るほどだった。


「米国を懲らしめる日本の英雄」キャラクターの力道山が朝鮮人であってはならなかった。力道山は徹底的に日本人として振る舞った。出生地は長崎に変わり、家系と小学校時代の英雄物語も作られた。

しかし相撲界と在日朝鮮人の間では力道山が朝鮮人ということは「公然の秘密」だったという。映画『力道山』には故郷の友人の食堂を力道山が夜にこっそりと訪ね、焼き肉を食べて行く場面が登場する。

日本プロレス界を平定し、事業の成功で富豪になった力道山はついに「カミングアウト」した。1963年1月8日に電撃訪韓したのだ。朴正熙(パク・ジョンヒ)「革命政府」が急いで進めた韓日国交正常化交渉に力道山がある種の役割を担ったという。力道山は記者会見で「20年ぶりに母国を訪問することになって感慨無量だ。長い間、日本語だけ話していたので韓国語は全くできない」と語った。私的な席では韓日国交正常化の核心イシューだった「対日請求権金額」に関し、「もし日本が請求権の金額を値切れば池田首相をこの手で殴る準備ができている」と冗談を言ったという。



米国の悪党を倒す日本の英雄・力道山 「朝鮮人」カミングアウト後に疑問死(2)


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