韓国と同様、40度に上る猛暑が続く日本で7日、全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)が開幕した。高校3年生にとって青春をかけた最後の大会であり、名勝負や終盤の大逆転劇などが相次ぐ。
昨年の大会で最も話題になったのは、優勝した慶応高だった。1916年に続き、実に107年ぶりに再び全国優勝した。決勝戦は平日の日中にも関わらず、視聴率が20%を超えたほど注目された。
慶応高が関心を集めたのは、文武両道を実現しているためだ。入学後もスポーツだけに専念することはできない。要件を満たせば慶応大に進学できるため、生徒たちのレベルは高く、成績不振の場合は留年することがある。
野球選手も、将来を考えれば勉強をおろそかにすることはできない。また、監督の指示に一方的に従うのではなく、選手自らが考えるように導くチームのスタイルも注目を集めた。
慶応高の優勝によって、国民的なスターとなったのが、丸田湊斗選手だ。50メートル5・9秒の俊足を生かした1番打者、外野手として活躍した。圧巻は、決勝戦で大会史上初の先頭打者ホームランを放ったことだった。優れた実力とともに、色白で端正な顔立ちから「美白王子」、「慶応のプリンス」などと呼ばれた。
丸田選手は今年4月、慶応大で最も難易度が高い学部の一つである法学部に入学した。大学進学直後から公式戦に出場しながら、学業にも励んでいる。7月31日、横浜市の慶応大野球部合宿所で丸田選手に話を聞いた。
Q 両親から勉強しろと言われたことがないそうですね。
A はい、ないです。ゲームを小さい頃から持たせてもらえなくて、勉強をするうえでマイナスになる物に触れてこなかったのが相対的にプラスになっているのかもしれないです。スマホも、高校に入るまで持っていませんでした。でも、頭が良い人でゲームをやっている人も多いので、悪いことではないと思います。
Q 学業とスポーツの両立には、大変な努力が必要だと思います。
A 頑張らなきゃいけない状況があったから頑張ったのかなと思います。制度的なプレッシャーがなかったら、自律するのは難しかったと思うので。定期テストの3年間の成績の高い順に(慶応大で)行きたい学部を選べるのですが、定期テストの1週間前は練習が完全にオフになって、その期間は必死に勉強していました。ただ、大学ではテスト前、1日10時間くらい勉強しているので、今の方が断然大変です。
Q 文武両道を果たしたことは、今後の人生においてどんな財産になっていくでしょうか。
A (しばし考えた後)自分の選択肢を広げることになると思います。両立しない選択肢を取っていたら、野球を捨てていたと思います。野球でご飯を食べられる(ほどの実力がある)とは思っていないので。自分でご飯を食べられるようにならなきゃいけないと合理的に考えると、好きなことだけやっていてもだめですし。
丸田選手は昨年、国民的な関心を一身に集めた。スターとなった多くのスポーツ選手、特に若い選手たちは強すぎる関心を負担に感じたり、オンライン上の誹謗などで傷いたりすることがある。しかし、丸田選手はこうした周囲の視線を意に介さない様子だった。
Q この1年を表現すると。
A (熟考した後)難しいですね。本当にいろいろあったので。まあ、注目された1年だったかなと思います。急に取材が多くなったりして、初めての経験ばかりだったので。
Q あるインタビューで、こうした経験を「プラスにとらえるようにしていた」と答えていました。それ自体、心の葛藤があったことを示しているではないかと思います。
A そうですね。良く思わない人も中にはいたと思いますし、週刊誌の記者が家に来たこともあったので、個人的な情報まで一気に拡散していく怖さはありました。でも、(プラスにとらえるように)自分に言い聞かせていました。
Q 大学でも野球を続けていることで、結果を出さなければというプレッシャーはないですか。
A 全く感じない、ということはないですけど、気にしていてもしょうがないので。自分の人生なので、誰かに言われたようにやる必要はまったくないので。注目されることはしたくてもできるわけではないので、ありがたいことだと思っています。
自分の人生は自分の思うままに歩めばいい。こうした考え方は、非常に心に響いた。数カ月前、中央日報に入社した記者も、「日本人初の韓国メディア特派員」と呼ばれることが、時に負担となってきたためだ。大人びた19歳の青年の言葉は、どこから出てくるのか、知りたくなった。
A 普段、本を読んだりしないので、自分の中から素直に出てきた言葉だと思います。両親や兄の影響だと思います。母は考え方がしっかりしていて尊敬していますし、5歳上の兄を真似しようとして、無意識のうちに目指すものが高くなっていたのかもしれないですね。
丸田選手は甲子園大会直後の昨年9月、台湾で開かれたU18ベースボールワールドカップの日本代表選手として、初の世界一を達成した。韓国との対戦では、自身の内野安打で好機を作り、チームの勝利に貢献した。ただ、この試合について尋ねると「絶不調の時だったので、全然覚えていないです」と答えた。甲子園での疲労などにより、全9試合に出場しながら、計6安打にとどまった。
A 全体として苦い思い出ですね。それまでは明らかに出来すぎていたので、自分の実力はこんなもんだと知れた良い経験になりました。
一躍スターとなった丸田選手は、「人生において、昨年がピークにならないようにしたい」と野球も学業も不断の努力を続けている。今後のさらなる活躍に期待したい。
昨年の大会で最も話題になったのは、優勝した慶応高だった。1916年に続き、実に107年ぶりに再び全国優勝した。決勝戦は平日の日中にも関わらず、視聴率が20%を超えたほど注目された。
慶応高が関心を集めたのは、文武両道を実現しているためだ。入学後もスポーツだけに専念することはできない。要件を満たせば慶応大に進学できるため、生徒たちのレベルは高く、成績不振の場合は留年することがある。
野球選手も、将来を考えれば勉強をおろそかにすることはできない。また、監督の指示に一方的に従うのではなく、選手自らが考えるように導くチームのスタイルも注目を集めた。
慶応高の優勝によって、国民的なスターとなったのが、丸田湊斗選手だ。50メートル5・9秒の俊足を生かした1番打者、外野手として活躍した。圧巻は、決勝戦で大会史上初の先頭打者ホームランを放ったことだった。優れた実力とともに、色白で端正な顔立ちから「美白王子」、「慶応のプリンス」などと呼ばれた。
丸田選手は今年4月、慶応大で最も難易度が高い学部の一つである法学部に入学した。大学進学直後から公式戦に出場しながら、学業にも励んでいる。7月31日、横浜市の慶応大野球部合宿所で丸田選手に話を聞いた。
Q 両親から勉強しろと言われたことがないそうですね。
A はい、ないです。ゲームを小さい頃から持たせてもらえなくて、勉強をするうえでマイナスになる物に触れてこなかったのが相対的にプラスになっているのかもしれないです。スマホも、高校に入るまで持っていませんでした。でも、頭が良い人でゲームをやっている人も多いので、悪いことではないと思います。
Q 学業とスポーツの両立には、大変な努力が必要だと思います。
A 頑張らなきゃいけない状況があったから頑張ったのかなと思います。制度的なプレッシャーがなかったら、自律するのは難しかったと思うので。定期テストの3年間の成績の高い順に(慶応大で)行きたい学部を選べるのですが、定期テストの1週間前は練習が完全にオフになって、その期間は必死に勉強していました。ただ、大学ではテスト前、1日10時間くらい勉強しているので、今の方が断然大変です。
Q 文武両道を果たしたことは、今後の人生においてどんな財産になっていくでしょうか。
A (しばし考えた後)自分の選択肢を広げることになると思います。両立しない選択肢を取っていたら、野球を捨てていたと思います。野球でご飯を食べられる(ほどの実力がある)とは思っていないので。自分でご飯を食べられるようにならなきゃいけないと合理的に考えると、好きなことだけやっていてもだめですし。
丸田選手は昨年、国民的な関心を一身に集めた。スターとなった多くのスポーツ選手、特に若い選手たちは強すぎる関心を負担に感じたり、オンライン上の誹謗などで傷いたりすることがある。しかし、丸田選手はこうした周囲の視線を意に介さない様子だった。
Q この1年を表現すると。
A (熟考した後)難しいですね。本当にいろいろあったので。まあ、注目された1年だったかなと思います。急に取材が多くなったりして、初めての経験ばかりだったので。
Q あるインタビューで、こうした経験を「プラスにとらえるようにしていた」と答えていました。それ自体、心の葛藤があったことを示しているではないかと思います。
A そうですね。良く思わない人も中にはいたと思いますし、週刊誌の記者が家に来たこともあったので、個人的な情報まで一気に拡散していく怖さはありました。でも、(プラスにとらえるように)自分に言い聞かせていました。
Q 大学でも野球を続けていることで、結果を出さなければというプレッシャーはないですか。
A 全く感じない、ということはないですけど、気にしていてもしょうがないので。自分の人生なので、誰かに言われたようにやる必要はまったくないので。注目されることはしたくてもできるわけではないので、ありがたいことだと思っています。
自分の人生は自分の思うままに歩めばいい。こうした考え方は、非常に心に響いた。数カ月前、中央日報に入社した記者も、「日本人初の韓国メディア特派員」と呼ばれることが、時に負担となってきたためだ。大人びた19歳の青年の言葉は、どこから出てくるのか、知りたくなった。
A 普段、本を読んだりしないので、自分の中から素直に出てきた言葉だと思います。両親や兄の影響だと思います。母は考え方がしっかりしていて尊敬していますし、5歳上の兄を真似しようとして、無意識のうちに目指すものが高くなっていたのかもしれないですね。
丸田選手は甲子園大会直後の昨年9月、台湾で開かれたU18ベースボールワールドカップの日本代表選手として、初の世界一を達成した。韓国との対戦では、自身の内野安打で好機を作り、チームの勝利に貢献した。ただ、この試合について尋ねると「絶不調の時だったので、全然覚えていないです」と答えた。甲子園での疲労などにより、全9試合に出場しながら、計6安打にとどまった。
A 全体として苦い思い出ですね。それまでは明らかに出来すぎていたので、自分の実力はこんなもんだと知れた良い経験になりました。
一躍スターとなった丸田選手は、「人生において、昨年がピークにならないようにしたい」と野球も学業も不断の努力を続けている。今後のさらなる活躍に期待したい。
この記事を読んで…