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母親も「習近平を捕まえろ」叫ぶ…文革が彼を変えた

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

中国の習近平国家主席

世の中は今や中国を中心に回っているといっても過言ではない。我々は中国をどのように理解して相手をするべきか。今日の中国を見るには「唯一の尊厳(定于一尊)」になった習近平に集中しなければならない。彼が自らの歴史的位置をどのように判断して中国と世界の未来がどのように流れているとみているのか、彼の考えを読まなければならない。だが中国指導者の内心を読むことは言葉でいうほど易しいことではない。「江沢民の滑稽は自身の本当に能力を隠すためのトリックに映り、胡錦濤の沈黙は彼と向き合った相手にとっては満たすべき無の時間にすぎない」。英国の中国専門家ケリー・ブラウン氏の言葉だ。

習近平執権以降、中国は必ずしも制度と規則が導く国ではなくなった。ブラウン氏は「中国の先祖は2500年前にすでに『民に得になるのならあえて過去の法に従う必要はなく、仕事がしやすいのであればあえて習俗に従う必要がない(苟利於民不必法古苟周於事不必循俗)』という言葉を残している」と強調する。自然に指導者である習個人の要素がその何にもまして重要になる。

習の知人の言葉によると、彼は多くの人々と幅広く付き合うが、決して自身の考えをおいそれとは表に出さない。5人で60度のコーリャン酒10本を飲んだが、最後まで口が重かったのは習1人だけだった。習は友人と会う時も不思議と緊張する姿が歴然としていたという。彼はなぜここまで控えめなのか。


◇監獄から脱出したが…母親が突き出す

習が13歳になった1966年12月のことだ。習は40余年後に自身が校長になる中央党校と決して忘れられない縁を結ぶことになる。大陸を狂風のルツボに引きずり込んだ文化大革命が始まったその年、幼かった習は文革を軽く評する失言をしてしまう。その代償は残酷だった。すぐに「現行反革命分子」として中央党校に閉じ込められた。当時中央党校は6人の「走資派」を相手に批判大会を開催した。

批判の対象に上がった5人は成人だったが、習は1人だけ未成年の児童だった。「とっ捕まえろ、習近平!」「とっ捕まえろ、習近平!」--習近平に向かって無数に響く群衆の叫びの中には母親斉心の声も混ざっていた。強制動員されたのだ。壇下にいる母親が壇上にいる息子を「とっ捕まえろ!」と大声を張り上げなければならない現実の苦痛は、おそらく体験したことのない者にとっては想像もつかないことだろう。批判大会が終わった後も近いはずの母子は席を共にできなかった。中央党校に閉じ込められて過ごしたある日の夜、土砂降りの雨が降った。習は看守のすきを突いて家に逃げ帰った。驚いた斉心が「どうやって来たのか」と聞くと、雨に濡れた習はガタガタ震えながら「母さん、お腹が空いた」を連発した。習は母親が何か食べさせてくれ、服も暖かいものに取り替えてくれると期待していたはずだ。だが、斉心は習に背を向けたまま雨の中、上司にこのことを告げに行った。家族も反革命と言われ、下手をしたら命を失いかねないと憂慮したのだ。

◇「金の箸とスプーン」に生まれたが賎民の奈落へ

これ以上頼るところがなくなった習は姉の安安と弟の遠平の前で大声をあげて泣いた。そして雨の中の夜道に飛び出したという。このような恐ろしい粛清を経験した人がその後どうしたら軽く口を開くことができようか。習に対する探求はこのように彼の成長過程で身についた個人的な特質と分離して進めることはできない。恵まれた家庭、いわゆる「金の箸とスプーン」を手に生まれたが賎民の奈落まで落ちた経験が彼をどんな人物にしたのかに対する研究が必要だ。それでこそ習の中国が歩く道が霧の中から姿を現すだろう。

韓国社会は最近、反中がまるで時代精神にでもなるかのようだ。昨年の世論調査では中国に対する非好感度は80%に達し、習個人に対する非好感度はこれよりも高く現れた。だが、中国は韓国の運命と切っても切れない隣国だ。中国に対して嫌いだと背を向けることは我々自ら墓穴を掘るのも同然のことだ。今は反中でなく知中に向かうべきだ。毛沢東の一生が理想主義革命だとしたらトウ小平の一生は実用主義革命だったという。習近平は? その2つを両方とも内包しようとしているという分析が多い。我々としてはそのような習の中国に背を向けるのではなく、一つでももっと多く知ろうとする努力を傾けなければならない。習に対する理解が深くてこそ、今後中国と競わなければならない数多くの対局で我々が指せる手が増えるのではないだろうか。そのような趣旨であえて習近平探求に挑戦したい。



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