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「韓国人に謝罪すべき」 日本戦後を代表する作家の大江健三郎氏が死去

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

大江健三郎氏(左側)と息子の光氏。[中央フォト]

1994年にノーベル文学賞を受賞した日本の小説家、大江健三郎氏が老衰で亡くなったとNHKなど日本メディアが13日、報じた。88歳。

日本戦後世代を代表する小説家だった故人は、日本の人権や原発、憲法改正問題を批判してきた進歩系文人であり社会運動家として活動してきた。1935年、愛媛県で生まれた大江氏は東京大学仏文学科に在学中だった1958年、短編小説『飼育』で日本最高文学賞「芥川賞」を23歳で最年少受賞して華々しくデビューした。

大江氏の作品世界は戦後の日本社会像を批判する参加主義的作品と知的障害のある長男・光氏誕生以降の自伝的作品に二分される。代表作『個人的な体験』は後者に属する。重度の障害児を持った父親の内的変化と成長を描いた。


世宗(セジョン)大学日本語日本文学科の朴裕河(パク・ユハ)教授は「健三郎は作品活動の中盤部といえる60年代から自伝的小説を書き始めた」とし「息子と一緒に暮らしていく過程が作品世界に影響を及ぼした」と話した。

ノーベル文学賞受賞の決定的契機になった作品は『万延元年のフットボール』だ。1860年故郷の村で起きた民衆蜂起をなぞるように国家の暴力で疲弊した戦後の個人の生き様を描いた。大江氏は『雪国』で1968年ノーベル文学賞を受賞した川端康成に続き1994年日本作家として2人目の同賞受賞を果たした。スウェーデン・アカデミーは「詩趣に富む表現力を持ち、現実と虚構が一体となった世界を創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている」と評した。ノーベル賞受賞直後、明仁親王が文化勲章と文化功労賞を授けようとしたが、「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」という理由でこれを拒否した。

『広島ノート』は被爆で生き残った人々の生涯を記録したルポルタージュだ。大江氏は作品を通じて核の危険性を知らせただけでなく社会運動にも積極的に参加した。「九条の会」の活動により、軍事力増強を試みる日本政府を批判し、2011年には作曲家の坂本龍一氏ら文化界の著名人と原発撤廃を要求する1000万人署名運動を行った。

故人は韓日関係にも大きな関心を持ち、日本政府が慰安婦問題に関して韓国に積極的に謝るべきだと求めた。安倍晋三元首相の執権2期目だった2015年3月、延世(ヨンセ)大学で開かれた「延世-金大中(キム・デジュン)世界未来フォーラム」に参加して「日本はどれほど謝罪しても充分でないくらいの大きな犯罪を韓国に犯した。ところがまだ韓国人に日本は十分に謝罪していない」と指摘した。1970年代に故・金芝河(キム・ジハ)詩人が維新政権に抵抗して投獄されると釈放運動を行って韓国メディアの注目を浴びたことがある。

2005年ソウル国際文学フォーラムに出席して意味深長な予言を残したことも有名なエピソードとして語り継がれている。大江氏はフォーラム出席者のうち4人を指して、今後ノーベル文学賞を受賞する力があると話したが、わずか7年でこのとき名前があがった作家のうち3人(オルハン・パムク、ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ、莫言)が実際に同賞を受賞した。故人が指定した最後の1人は韓国の小説家、黄ソ暎(ファン・ソギョン)だ。大江氏は生前、「韓国現代小説を愛読しており、高く評価している」とし「特に黄ソ暎は現代の重要な問題を指摘するスケールの大きな小説を書く。個人の内面を描きながらも社会につながる人間を描写している」と評価した。



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