2022カタールワールドカップ(W杯)に出場したサッカー韓国代表が7日に帰国した。韓国のグループリーグ第1戦のウルグアイ戦が行われた先月24日から半月間、国民全員がサッカーに没頭しながら過ごした。準々決勝、準決勝、決勝はまだ残っている。しかし韓国が大会を終えただけにアドレナリンを出して試合を見ることはなさそうだ。目標としていた16強入りを祝う。全力を尽くした韓国の選手たちに大きな拍手を送る。祭りが終わっただけに今は落ち着いて計算書を見てみよう。
現W杯のようにグループリーグ4チームのうち上位2チームが16強に上がる場合、1敗2分け(勝ち点2)でも通過するケースがある。1つのチームが3勝し、残りの3チームがお互い引き分ける場合だ。3勝したチームに最も少ない点数差で勝利したチームが上がる。理論的にそうであってW杯の実際の事例はない。逆に2勝1敗(勝ち点6)でも敗退することがある。1つのチームが3敗し、残りの3チームが混戦となる場合だ。1982年スペインW杯でアルジェリアが2勝1敗で敗退した。なら、グループリーグを通過した1敗2分けと敗退した2勝1敗のうち、どちらがよくやったのか。
韓国は今回のグループリーグで1勝1敗1分け(勝ち点4)だった。第1戦でウルグアイと0-0引き分け、第2戦でガーナに2-3敗戦、第3戦でポルトガルに2-1勝利だった。韓国は2006ドイツW杯でも2010南アフリカW杯でもグループリーグ1勝1敗1分けだった。2006年は涙を流し、2010年と今回は笑った。もちろん数字がすべてを語るのではない。過去のW杯で韓国は多くの試合で劣勢となり、1、2回のチャンスを生かして勝ったり引き分けたりした。しかし今回は主導権を握って試合を進めた。間違いなく点数を与えるべき部分だ。
W杯開幕前までパウロ・ベント監督はかなり批判を受けた。世界的な強豪チームを相手にベント監督の戦術が通じるのか疑問だった。結果的にウルグアイとポルトガルには通用し、16強戦の相手ブラジルには通用しなかった。想像したくないが、もしグループリーグ第3戦で0-2とリードを許したガーナがウルグアイの攻勢を防げなかったとすれば、韓国の16強は夢で終わっていた。韓国の16強入りの決定的な変数だったガーナの善戦をベント監督の指導力とはどう結びつけるべきなのか。本当に運も実力なのか。
30年以上も前の高校時代のことだ。ある日、社会の先生が教卓のすぐ前の友人の頭に手をのせて話した。「もしもの話です。この生徒が後日、大統領になったとしましょう。誰かが自分に『大統領は学生時代どんな子どもだったのか』と尋ねれば、こう答えるでしょう。『瞳と後光がまぶしくてじっくりと見ることができなかった。このような日がくると思っていた』と。ところがこの生徒が後日、連続殺人魔になったとしましょう。同じ質問にこう答えるでしょう。『目も合わせたくなかった。瞳に暗い光があった。このような日がくると思っていた』と。ハハハ」。
チャン・ヘス/コンテンツ制作エディター
現W杯のようにグループリーグ4チームのうち上位2チームが16強に上がる場合、1敗2分け(勝ち点2)でも通過するケースがある。1つのチームが3勝し、残りの3チームがお互い引き分ける場合だ。3勝したチームに最も少ない点数差で勝利したチームが上がる。理論的にそうであってW杯の実際の事例はない。逆に2勝1敗(勝ち点6)でも敗退することがある。1つのチームが3敗し、残りの3チームが混戦となる場合だ。1982年スペインW杯でアルジェリアが2勝1敗で敗退した。なら、グループリーグを通過した1敗2分けと敗退した2勝1敗のうち、どちらがよくやったのか。
韓国は今回のグループリーグで1勝1敗1分け(勝ち点4)だった。第1戦でウルグアイと0-0引き分け、第2戦でガーナに2-3敗戦、第3戦でポルトガルに2-1勝利だった。韓国は2006ドイツW杯でも2010南アフリカW杯でもグループリーグ1勝1敗1分けだった。2006年は涙を流し、2010年と今回は笑った。もちろん数字がすべてを語るのではない。過去のW杯で韓国は多くの試合で劣勢となり、1、2回のチャンスを生かして勝ったり引き分けたりした。しかし今回は主導権を握って試合を進めた。間違いなく点数を与えるべき部分だ。
W杯開幕前までパウロ・ベント監督はかなり批判を受けた。世界的な強豪チームを相手にベント監督の戦術が通じるのか疑問だった。結果的にウルグアイとポルトガルには通用し、16強戦の相手ブラジルには通用しなかった。想像したくないが、もしグループリーグ第3戦で0-2とリードを許したガーナがウルグアイの攻勢を防げなかったとすれば、韓国の16強は夢で終わっていた。韓国の16強入りの決定的な変数だったガーナの善戦をベント監督の指導力とはどう結びつけるべきなのか。本当に運も実力なのか。
30年以上も前の高校時代のことだ。ある日、社会の先生が教卓のすぐ前の友人の頭に手をのせて話した。「もしもの話です。この生徒が後日、大統領になったとしましょう。誰かが自分に『大統領は学生時代どんな子どもだったのか』と尋ねれば、こう答えるでしょう。『瞳と後光がまぶしくてじっくりと見ることができなかった。このような日がくると思っていた』と。ところがこの生徒が後日、連続殺人魔になったとしましょう。同じ質問にこう答えるでしょう。『目も合わせたくなかった。瞳に暗い光があった。このような日がくると思っていた』と。ハハハ」。
チャン・ヘス/コンテンツ制作エディター
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