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【時視各角】守ることができなくて申し訳なく、悲痛だ=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

尹錫悦大統領夫人の金建希氏が2日、ソウル蘆原区のある葬儀場に設けられた梨泰院惨事の高校生犠牲者の葬儀場を訪れ、遺族を慰めている。[写真 大統領室]

気分良く道を歩いていて圧死するなんて誰が想像しただろうか。全国民が沈鬱で、海外からも哀悼のメッセージが次々と届く。この悲劇に対する分析も後を絶たない。「総体的安全不感症」と「関係当局の予防管理不足」は基本で、科学的分析も出てきている。一度に多くの人波が集まって現れる「群衆雪崩」、密集した群衆の中で指一つ動かすことができず、あちらこちらに押されて歩く「乱気流現象」という分析も出ている。

さまざまな分析が出ている中で事故の輪郭が見えつつある。その核心は「放置された危険」ではないかと思う。まずハミルトンホテルが原因を提供した不法建築物を見逃してはいけないと思う。ハミルトンホテルは道路幅4メートルの規定を破って建築限界線を0.8メートル蚕食しながら、それでなくても狭い路地を3.2メートルに狭めた。10年余り前から不法鉄製仮壁を設置したが龍山(ヨンサン)区庁は一度も取り締まらなかったという。この不法建築物は乱気流現象を説明する決定的根拠になりえる。混雑した料金所や公演会場出入り口でよく経験するボトルネック現象の極端なケースだ。ハミルトンホテルの不法建築物は放置された危険だった。

龍山区は「事故以降、無許可建築物であることを確認した」と明らかにした。住民の安全と生命を守る行政機関が知らなかったからといって責任は消えるのだろうか。危険を放置した責任は小さくない。事実、私たちの周辺を見回すと、都心はもちろん住宅街さえ変だと思った建築物が少なくない。さらに親環境材料を使えば容積率を高める制度まで導入しながら住居地でも日照権の被害者が続出している。人に対する尊重を無視した行政が結局安全をおびやかし、事故につながる。国民の安寧と幸福という核心価値が放置された結果だ。


人波事故に対する当局の安全意識不在も残念だ。1993年新年前夜祭イベントに多くの人が集まった香港蘭桂坊で21人が犠牲になった圧死事故を行政安全部が知らなかったはずがない。知らなかったとするなら部署名称の「安全」が色褪せる。国民の税金で公務員と政治家の外遊性の研修が相次いでいるが、いったい何を学んで帰ってきたというのか。香港では圧死事故以後、群衆が集まれば警察が出入り人数を統制して人を保護する。1989年4月英国でもヒルズバラ・スタジアムで96人が圧死した。危険はいつ、どこにでも隠れている。

梨泰院(イテウォン)商人会の安全管理不十分と地下鉄が無停車通過しなかった問題に対しても責任攻防が行き来している。どれか一つだけが原因ということはできない。物理的にボトルネック現象を引き起こした危険が放置され、関係当局の安全予防措置不十分が複雑に絡んだ事故だ。その最終責任は国家の役割だ。主催者がいなければ国家はより一層安全に努力しなければならなかった。

惨事4時間前から「圧死する」という通報が多数あったが国民は保護されなかった。ありふれたそのポリスラインを張ったり一方通行に切り替えたりなどの臨機応変的対応も中途半端だったことが分かった。対応マニュアルや根本的システムが不十分であるため機動対応も不十分になるほかなかった。軍服務短縮の空白を埋めるために義務警察を廃止したのも対応能力を低下させた。ずさんな対応をした勤務者を問責するからといって解決する問題だろうかと思う。

大型惨事が繰り返し発生する理由は何だろうか。要するに4流政治と3流行政の責任が大きいと考える。事故が発生するたびに安全システムの構築ではなく政争だけ日常的に繰り返せば、行政は無事安逸に陥ってしまうほかはない。セウォル号でバラスト水を減らして過剰積載したのが事故の根本原因だったように、梨泰院でも不法建築物がボトルネック現象を作っても放置された。船が沈没しつつあるのに「動くな」と言い、「圧死する」と切迫な状況を訴えても放置された。

政界がこの問題で政争を行えば安全な社会は来ない。将来のある息子娘の犠牲の前に、そろそろ変わらなければならない。社会の全般的システムが変わる時はじめて安全社会が構築される。放置された危険によって青年たちを守ることができなくて申し訳なく、悲痛だ。

キム・ドンホ/論説委員



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