年に約400回。今年72歳の英国のアン王女が10代後半から毎年、王室の代表として主管または出席してきた行事の数だ。故エリザベス2世女王が産んだ4人のきょうだいで唯一の娘のアン王女はスコットランドのバルモラル城からロンドンまで運柩行列を守った。車に6時間、飛行機に2時間乗る旅程だったが、息をつく間もなくスコットランド行きの飛行機にまた乗ったという。グラスゴーで開かれる小さな定例行事に出席するためだった。スコットランドの独立の意志を挫いて英国の一員として結束を固めるために数世紀間続いている行事だが、それほど重要な行事ではないという。キャンセルしても支障はなかったという。しかしアン王女は行事に向かった。彼女の性格をそのまま表している。
ニューヨークタイムズ(NYT)は14日(現地時間)、「過去にも小規模な領地を持つ領主がしてきた義務的行事」とし「しかしアン王女は数十年間、この行事を主管しながら一度も不平を言わなかった」と伝えた。続いて「チャールズ3世国王は今後、王室関連の業務を処理するうえで、アン王女により一層頼ることになるだろう」と付け加えた。エリザベス2世の空席の相当部分をアン王女が「大人」として代わりにすると予想される。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の右腕であり妹の金与正(キム・ヨジョン)労働党第1副部長が活躍するのを連想させる。
アン王女は葬儀で終始、公共場所で感情を表すことを美徳としない英王室の法度に忠実だった。その彼女も霊柩車の後に続いた車の中では涙があふれそうな姿がカメラに映った。
ガーディアンやITVなど英国メディアは「エリザベス2世は感情に流されない落ち着きを優先し、その点を最もよく受け継いだのがアン王女」と評価している。エリザベス2世は時には冷たい人間という批判を受けた。1997年にダイアナ元妃の事故死から5日間沈黙を続けたのが代表的だ。しかしアン王女はその後、ヴァニティーフェアのインタビューで「5日後に声明を発表したのは王室の法度に従ったものであり、母は残りの家族の安危を心配した」と擁護した。アン王女本人も一時は冷笑的な態度のため現地メディアから「無礼な王女殿下(Her Royal Rudeness)」と呼ばれたりもした。
華やかさとは距離がある。ツイードの膝下まで覆うスカートなど一定のスタイルを守り、チャールズ3世とダイアナとの結婚式に着たドレスをその後の別の王室行事に着て現れたりもした。ファッション誌ヴォーグ(Vogue)は「持続可能性という言葉が流行する前からすでにそのようなファッションを実践した人物」と評した。父フィリップ殿下の冷笑的なユーモア感覚と母の合理的な性格と責任感を幅広く受け継いだという評価を受ける。
そのような彼女にも息を抜くところが必要だ。乗馬がその一つだった。彼女は英国の王族の中では初めてオリンピック(五輪)に乗馬選手として出場した。メダルをかけることはできなかったが、英国国内の乗馬大会では1位になった記録もある。彼女は過去に英メディアのインタビューで「王族として暮らすというのは塀に囲まれているということ」とし「それだけになおさら馬を乗ってその塀の外を眺めながら呼吸をすることが必要だ」と話した。
彼女は乗馬選手だったことで国際オリンピック委員会(IOC)委員としても活動している。2018年平昌(ピョンチャン)冬季五輪と縁が深い故ジャック・ロゲIOC委員長をバッキンガム宮殿に招待したりもした。今でもIOC内で委員選出委員長という要職を担当している。ある北米圏のIOC委員は記者に「言葉でなく行動で引き受けたことを着実にする方」と評価した。
しかし乗馬は彼女に悪い縁も残した。最初の夫マーク・フィリップスが同じ乗馬選手であり、1988年ソウル夏季五輪で銀メダルを獲得した人物だが、不倫のため結婚は破局を迎えた。アン王女はその後、エリザベス2世の護衛業務を担当していたティモシー・ローレンスと再婚した。
強い性格は英国内外でも有名だ。ドナルド・トランプ前大統領が在任中に英国を訪問してエリザベス2世と王室の家族に会った時、アン王女は握手を拒否した。1974年の拉致未遂事件では自分の車を阻止して降りろという犯人に「そんなことはできない(Not bloody likely)」と言い返した。
彼女は2020年、ヴァニティーフェアのインタビューでこのように語った。「私はただ王室の写真の後ろの列に立つ古くて難しい人間だが、それでも若い世代が王室をあまりにも早く変えないことを望む。人生では長く繰り返されてきた基本と基礎が重要だから」。
ニューヨークタイムズ(NYT)は14日(現地時間)、「過去にも小規模な領地を持つ領主がしてきた義務的行事」とし「しかしアン王女は数十年間、この行事を主管しながら一度も不平を言わなかった」と伝えた。続いて「チャールズ3世国王は今後、王室関連の業務を処理するうえで、アン王女により一層頼ることになるだろう」と付け加えた。エリザベス2世の空席の相当部分をアン王女が「大人」として代わりにすると予想される。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の右腕であり妹の金与正(キム・ヨジョン)労働党第1副部長が活躍するのを連想させる。
アン王女は葬儀で終始、公共場所で感情を表すことを美徳としない英王室の法度に忠実だった。その彼女も霊柩車の後に続いた車の中では涙があふれそうな姿がカメラに映った。
ガーディアンやITVなど英国メディアは「エリザベス2世は感情に流されない落ち着きを優先し、その点を最もよく受け継いだのがアン王女」と評価している。エリザベス2世は時には冷たい人間という批判を受けた。1997年にダイアナ元妃の事故死から5日間沈黙を続けたのが代表的だ。しかしアン王女はその後、ヴァニティーフェアのインタビューで「5日後に声明を発表したのは王室の法度に従ったものであり、母は残りの家族の安危を心配した」と擁護した。アン王女本人も一時は冷笑的な態度のため現地メディアから「無礼な王女殿下(Her Royal Rudeness)」と呼ばれたりもした。
華やかさとは距離がある。ツイードの膝下まで覆うスカートなど一定のスタイルを守り、チャールズ3世とダイアナとの結婚式に着たドレスをその後の別の王室行事に着て現れたりもした。ファッション誌ヴォーグ(Vogue)は「持続可能性という言葉が流行する前からすでにそのようなファッションを実践した人物」と評した。父フィリップ殿下の冷笑的なユーモア感覚と母の合理的な性格と責任感を幅広く受け継いだという評価を受ける。
そのような彼女にも息を抜くところが必要だ。乗馬がその一つだった。彼女は英国の王族の中では初めてオリンピック(五輪)に乗馬選手として出場した。メダルをかけることはできなかったが、英国国内の乗馬大会では1位になった記録もある。彼女は過去に英メディアのインタビューで「王族として暮らすというのは塀に囲まれているということ」とし「それだけになおさら馬を乗ってその塀の外を眺めながら呼吸をすることが必要だ」と話した。
彼女は乗馬選手だったことで国際オリンピック委員会(IOC)委員としても活動している。2018年平昌(ピョンチャン)冬季五輪と縁が深い故ジャック・ロゲIOC委員長をバッキンガム宮殿に招待したりもした。今でもIOC内で委員選出委員長という要職を担当している。ある北米圏のIOC委員は記者に「言葉でなく行動で引き受けたことを着実にする方」と評価した。
しかし乗馬は彼女に悪い縁も残した。最初の夫マーク・フィリップスが同じ乗馬選手であり、1988年ソウル夏季五輪で銀メダルを獲得した人物だが、不倫のため結婚は破局を迎えた。アン王女はその後、エリザベス2世の護衛業務を担当していたティモシー・ローレンスと再婚した。
強い性格は英国内外でも有名だ。ドナルド・トランプ前大統領が在任中に英国を訪問してエリザベス2世と王室の家族に会った時、アン王女は握手を拒否した。1974年の拉致未遂事件では自分の車を阻止して降りろという犯人に「そんなことはできない(Not bloody likely)」と言い返した。
彼女は2020年、ヴァニティーフェアのインタビューでこのように語った。「私はただ王室の写真の後ろの列に立つ古くて難しい人間だが、それでも若い世代が王室をあまりにも早く変えないことを望む。人生では長く繰り返されてきた基本と基礎が重要だから」。
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