70年間英国の象徴として君臨したエリザベス女王の最後の葬儀手続きが世界的哀悼の中で19日に挙行された。1965年のチャーチル元首相の死去後英国で行われた初めての国葬だ。
午前11時に始まった葬儀には約500人の各国首脳・指導者をはじめ2000人余りが参列した。18日にロンドンに到着したバイデン米大統領は「英国人は70年間女王を奉ることができて幸運だった。エリザベス女王は私の母を思い出させた」と話した。
バイデン大統領のほかにも欧州の王室関係者と指導者、韓国の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領、日本の天皇夫妻などが参加した。天皇が外国の王室の葬儀に参列するのは1993年に現在の上皇がベルギー国王の国葬に参列して以来で史上2度目だ。女王死去で欧州の最長寿君主になったデンマークのマルグレーテ2世女王(82)も葬儀で弔意を示した。中国からは王岐山国家副主席が出席した。
葬儀は1時間ほどにわたり行われた。ウェストミンスター寺院のデイビッド・ホイル首席司祭が式を執典し、パトリシア・スコットランド英連邦事務総長とリズ・トラス首相が順に聖書を奉読した。英国国教会のジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教が説教した。午前11時57分ごろに葬儀の最後を告げるラッパが鳴り、英国全域で2分間の黙祷を捧げた。静かな哀悼に向けロンドンのヒースロー空港では黙祷前後15分ずつ合計30分間にわたり航空機の離着陸を止めた。
その後女王の棺は騎馬隊と軍楽隊などとともにゆっくりと英国市内を移動しながらウェリントン・アーチを経てロンドンを離れた。
BBCによると9時30分ごろから11時まで、女王の年齢に合わせ96回鐘を鳴らした。葬儀後、英国市内を移動する際に毎分鐘を打ち、ハイドパークでもこれに合わせて礼砲を発射した。
女王の最後の安息所はウィンザー城内の聖ジョージ教会だ。女王と73年間結婚生活をしたフィリップ殿下の葬儀も昨年ここで行われた。約800人が参列した小規模な礼拝で女王の統治終息を知らせる儀式が行われた。女王を象徴する王冠と国王の象徴である宝玉と勺杖を棺から下ろした後、棺の上に近衛隊の旗を上げ女王儀典長が杖を折って女王のための服務が終わったことを告げた。午後7時30分に女王は最後に王室一家だけが集まる中で夫フィリップ殿下の横に安置された。
尹大統領は前日バッキンガム宮殿でチャールズ国王が開催したレセプションに参加し日本の天皇と会った。大統領室高位関係者は「(レセプションで)バイデン米大統領夫妻と遭遇して安否を尋ね、『近く国連で会おう』と話した」と明らかにした。尹大統領はレセプションでチャールズ国王に哀悼の意を示した。尹大統領は「自由と平和の守護者として献身したエリザベス女王を忘れることはできないだろう。韓国国民もともに悲しんでいる」と慰労したと大統領室の金恩慧(キム・ウンヘ)広報首席秘書官が伝えた。この席でキャサリン皇太子妃が「韓国に行ったことがない。招かれたらいつか行ってみたい」という意向を明らかにし、チャールズ国王も「かなり前の1992年に訪問したのでもう一度行く機会が許されるよう望む」と話した。尹大統領は「いつでも歓迎する」と答えた。
一方、尹大統領は19日に葬儀に参列した後、ロンドンのチャーチハウスで弔問録に記帳した。弔問録には「エリザベス女王の冥福を祈り英国王室と国民に深い哀悼を表わします。自由と平和守護に向け努力してこられた女王と同時代に時間を共有でき光栄でした。大韓民国政府と国民はエリザベス女王を永遠に記憶するでしょう」と書いた。この日尹大統領とともに欧州委員会のフォンデアライエン委員長とパキスタンのシャリフ首相ら多くの最高級要人が弔問録に記帳したと大統領室は明らかにした。
当初、記帳は尹大統領のロンドン到着初日の18日に行うことで調整されていたが、英国王室の時間調整により1日延期されたというのが大統領室の説明だ。金秘書官はこの日現地での会見で「きのう午後早くまでに到着した首脳は弔問でき、ロンドンの複雑な状況で午後2~3時以降に到着した首脳はきょう弔問録記帳が案内された」と説明した。こうした説明は尹大統領の弔問録作成日程が再調整され韓国の一部で「外交冷遇」議論が提起されるのを遮断しようとする趣旨とみられる。これに先立ち民主党の安浩永(アン・ホヨン)首席報道官は会見で「G7のバイデン米大統領、カナダのトルドー首相だけでなく中国の王副主席も国賓資格で弔問した。尹大統領と金建希(キム・ゴンヒ)夫人は英国になぜ行ったのか」とした。
午前11時に始まった葬儀には約500人の各国首脳・指導者をはじめ2000人余りが参列した。18日にロンドンに到着したバイデン米大統領は「英国人は70年間女王を奉ることができて幸運だった。エリザベス女王は私の母を思い出させた」と話した。
バイデン大統領のほかにも欧州の王室関係者と指導者、韓国の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領、日本の天皇夫妻などが参加した。天皇が外国の王室の葬儀に参列するのは1993年に現在の上皇がベルギー国王の国葬に参列して以来で史上2度目だ。女王死去で欧州の最長寿君主になったデンマークのマルグレーテ2世女王(82)も葬儀で弔意を示した。中国からは王岐山国家副主席が出席した。
葬儀は1時間ほどにわたり行われた。ウェストミンスター寺院のデイビッド・ホイル首席司祭が式を執典し、パトリシア・スコットランド英連邦事務総長とリズ・トラス首相が順に聖書を奉読した。英国国教会のジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教が説教した。午前11時57分ごろに葬儀の最後を告げるラッパが鳴り、英国全域で2分間の黙祷を捧げた。静かな哀悼に向けロンドンのヒースロー空港では黙祷前後15分ずつ合計30分間にわたり航空機の離着陸を止めた。
その後女王の棺は騎馬隊と軍楽隊などとともにゆっくりと英国市内を移動しながらウェリントン・アーチを経てロンドンを離れた。
BBCによると9時30分ごろから11時まで、女王の年齢に合わせ96回鐘を鳴らした。葬儀後、英国市内を移動する際に毎分鐘を打ち、ハイドパークでもこれに合わせて礼砲を発射した。
女王の最後の安息所はウィンザー城内の聖ジョージ教会だ。女王と73年間結婚生活をしたフィリップ殿下の葬儀も昨年ここで行われた。約800人が参列した小規模な礼拝で女王の統治終息を知らせる儀式が行われた。女王を象徴する王冠と国王の象徴である宝玉と勺杖を棺から下ろした後、棺の上に近衛隊の旗を上げ女王儀典長が杖を折って女王のための服務が終わったことを告げた。午後7時30分に女王は最後に王室一家だけが集まる中で夫フィリップ殿下の横に安置された。
尹大統領は前日バッキンガム宮殿でチャールズ国王が開催したレセプションに参加し日本の天皇と会った。大統領室高位関係者は「(レセプションで)バイデン米大統領夫妻と遭遇して安否を尋ね、『近く国連で会おう』と話した」と明らかにした。尹大統領はレセプションでチャールズ国王に哀悼の意を示した。尹大統領は「自由と平和の守護者として献身したエリザベス女王を忘れることはできないだろう。韓国国民もともに悲しんでいる」と慰労したと大統領室の金恩慧(キム・ウンヘ)広報首席秘書官が伝えた。この席でキャサリン皇太子妃が「韓国に行ったことがない。招かれたらいつか行ってみたい」という意向を明らかにし、チャールズ国王も「かなり前の1992年に訪問したのでもう一度行く機会が許されるよう望む」と話した。尹大統領は「いつでも歓迎する」と答えた。
一方、尹大統領は19日に葬儀に参列した後、ロンドンのチャーチハウスで弔問録に記帳した。弔問録には「エリザベス女王の冥福を祈り英国王室と国民に深い哀悼を表わします。自由と平和守護に向け努力してこられた女王と同時代に時間を共有でき光栄でした。大韓民国政府と国民はエリザベス女王を永遠に記憶するでしょう」と書いた。この日尹大統領とともに欧州委員会のフォンデアライエン委員長とパキスタンのシャリフ首相ら多くの最高級要人が弔問録に記帳したと大統領室は明らかにした。
当初、記帳は尹大統領のロンドン到着初日の18日に行うことで調整されていたが、英国王室の時間調整により1日延期されたというのが大統領室の説明だ。金秘書官はこの日現地での会見で「きのう午後早くまでに到着した首脳は弔問でき、ロンドンの複雑な状況で午後2~3時以降に到着した首脳はきょう弔問録記帳が案内された」と説明した。こうした説明は尹大統領の弔問録作成日程が再調整され韓国の一部で「外交冷遇」議論が提起されるのを遮断しようとする趣旨とみられる。これに先立ち民主党の安浩永(アン・ホヨン)首席報道官は会見で「G7のバイデン米大統領、カナダのトルドー首相だけでなく中国の王副主席も国賓資格で弔問した。尹大統領と金建希(キム・ゴンヒ)夫人は英国になぜ行ったのか」とした。
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