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「ペロシ氏の台湾行き」になぜ緊張? 中国を騒然とさせた31年前の「天安門追撃戦」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
ペロシ氏は、中国の悪意的な行動は「天安門事態に遡る」と言及した。「中国は一国二制度を約束した。ところが香港でしたことを見るといい。台湾問題は彼ら自身が作り出した。もし一つの国、二つのシステムを有しているなら説得力があっただろう」。

ペロシ氏は民主党内でも唯一中国民主主義、宗教の自由と人権擁護に声を高めてきた。カリフォルニア州サンフランシスコ地方区の人口の相当数が中国系を含むアジア系で、権威主義の中国政府に反感を持っている点もペロシ氏が対中強硬路線を堅持する理由の一つだ。

ペロシ氏は1998年SFGATEとのインタビューで政治的行動主義は自身の血に流れていて、人権に対する関心は中国から始まったことではないと強調した。


ペロシ氏は「私は子供たちを領事館と大使館の外で育てた。世界のどこの国でも抑圧に抗議した」としながら「サンフランシスコで我々はソ連領事館前の常連だった。フェルディナンド・マルコス(フィリピンの前職独裁者大統領)が市庁に晩餐のために来たときプラカードを持ってデモをした」と回想した。

1997年、中国の江沢民国家主席がワシントンを訪問したとき民主党の同僚議員であるダイアン・ファインスタイン上院議員が迎賓館ブレアハウスで晩餐を主催した。ペロシ氏はブレアハウスの外で江主席を暴君と呼び抗議デモを行ったという。

今年82歳のペロシ氏には5人の子女がいる。第2次世界大戦当時、下院議員を経てボルティモア市長を務めた父親のトーマス・ダレサンドロの後に続いて政界入りした。

米国議会の代表的な「中国タカ派」である35年目の下院議員の夢は「ホワイトハウスが好むと好まざるとにかかわらず、台湾訪問を通じて世界の舞台で自身の経歴を終えたい」(Politico)という評価だ。


「ペロシ氏の台湾行き」になぜ緊張? 中国を騒然とさせた31年前の「天安門追撃戦」(1)

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