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【コラム】ロシアの学者が調査した渤海、日本と中国はなぜ隠したのか(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

渤海上京城(東京城)を発掘したロシア東省文物研究会 [写真 カン・インウク]

◆「渤海で日本最初の貨幣発見」と捏造

しかし最近公開された日本外務省の資料によると、これは実際とは全く違う。発掘を主導した東京大の原田教授が作成した内部報告文書には次のように記述されている。「ロシアおよび中国の学者が東京城(上京城)の調査をすでに手掛けていて、先手を許してはならない」。東亜考古学会が故意にポノソフの研究を奪って隠蔽したことを認めたのだ。

日本はさらに侵略を正当化するために遺物の捏造もした。1934年、日本の御用考古学者らが渤海上京城で日本最初の貨幣「和同開珎」を発見したと発表した。しかし共に発掘した中国考古学者の李文信はすぐに日本人が和同開珎を持ってきて埋めたと暴露した。


日本は反省もせず、1940年に満州国の首都の新京(現在の長春)で開いた「飛鳥奈良文化展覧会」でこの貨幣を大々的に活用した。日本人の満州侵略を正当化するために渤海文化財の捏造までしたのだ。にもかかわらず、国内外で日本の「侵略」は過ちだが、日本が渤海考古学の軸を築いたというような論調が依然として繰り返されている。

◆ロシア学者の名前を削除した中国

一方、ポノソフは最後まで残ったハルビンのロシア考古学者でもあった。ポノソフは中国の建国から12年も経過した1961年まで黒龍江省博物館で勤務し、ハルビンのロシア学者が調査した遺跡に関するすべての資料を整理して中国の学者に渡した。40年近い時間を満州史研究に捧げたポノソフは62歳になって中国を離れた。しかしすでにソ連の地域になったポノソフの故郷のウラル山脈地域はポノソフを受け入れなかった。ポノソフはオーストラリアで余生を送り、考古学研究を続けた。

中国はポノソフが残した資料を利用して数十年間、ハルビン一帯の渤海のほか、金国と先史時代を調査した。しかし中国でもポノソフとロシア考古学者の名前は見られない。中国が満州を自国の歴史であることを証明することに熱中し、ポノソフのようなロシア人の研究に背を向けてきたからだ。

◆中国、世界文化遺産登録を推進

ポノソフ以降、北朝鮮も1963-65年に渤海上京城共同発掘に加わった。しかし中国はその後、この地域に対する支配を固めるためにすべての交流を中断し、今では接近するのも難しい遺跡になった。中国の東北工程はすでに終わったが、中国地方政府は渤海遺跡を観光資源化するために大々的に広報し、世界文化遺産登録も進めている。渤海を白頭山(ペクドゥサン)と共に世界の人々が中国東北地域の代表的な観光資源として記憶すると期待するからだ。

こうした複雑な歴史紛争の中、韓国の立場を唯一擁護するのがロシアだった。今でもロシアの多くの渤海遺跡が韓国人の手によって研究されている。母国からも捨てられたが、渤海に生涯を捧げたハルビンのロシア研究者こそが国家の利益よりも純粋な学問的熱意で渤海を研究した標本に違いない。荒涼で冷たい北方の原野に捨てられた我々の歴史の遺跡に若き日々を捧げた彼らに対する再評価から渤海の研究は再スタートしなければならない。

カン・インウク/慶煕大史学科教授


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