韓国国民の選択は政権交代だった。9日に行われた大統領選挙で国民の力の尹錫悦(ユン・ソクヨル)候補は99.8%の開票が進められた10日午前5時30分基準で48.57%を得票して47.81%を記録した共に民主党の李在明(イ・ジェミョン)候補に勝った。5年ぶりの政権交代で、1987年民主化以降続けてきた進歩・保守の10年執権周期説が崩れた。大統領選挙期間に過半数となっていた政権交代の世論が政治新人の尹錫悦候補を大統領当選者に作った。
尹氏は当選が確定した10日明け方、国会図書館に設けられた国民の力の開票状況室を訪ねて「本日、この結果は私と国民の力、、安哲秀(アン・チョルス)代表とともにした国民の党の勝利というよりは偉大な国民の勝利ではないかと考える」と述べた。
尹氏は李在明候補と正義党の沈相ジョン(シム・サンジョン)候補に向かって「二方にも感謝を申し上げ、大韓民国の政治発展に私たちがともに大きく貢献したということから、その価値を高く評価したい」とし「皆が力を合わせて国民と大韓民国のために一つになるべきだ」と語った。また、「当選者身分で新政府を準備し、大統領職を正式に引き受けることになれば、憲法精神を尊重して議会を尊重し、野党と協力しながら国民に仕えたい」と語った。
李在明氏は「最善を尽くしたが、期待に応えられなかった。すべての責任は私にある」と承服した。勝者と敗者は分かれたが、その過程は言葉通りに手に汗を握る接戦だった。両候補間の格差はわずか0.76%ポイント。歴代大統領選で格差が最も少なかった第15代大統領選〔金大中(キム・デジュン)40.27%、李会昌(イ・フェチャン)38.74%〕の1.53%ポイント差の半分だった。0.6%ポイントの差(尹氏48.4%、李氏47.8%)だったKBS・MBC(文化放送)・SBSテレビ局3社の出口調査の結果と大きく変わらなかなった。
最終投票率は77.1%と暫定集計された。当初4と5日に2日間行われた事前投票で歴代最高となる37.93%を記録し、1997年第15代大統領選以来初めて80%を超える可能性があるという見通しも出たが、第19代大統領選の最終投票率(77.2%)より0.1%ポイント低かった。
1991年司法高試(司法試験)に合格(司法研修院第23期)した尹氏は26年間「強骨検事」と呼ばれてきた。盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の側近だった安熙正(アン・ヒジョン)前忠南(チュンナム)知事と李明博(イ・ミョンバク)元大統領の兄・イ・サンドク元議員を拘束起訴するなど、陣営を離れて捜査を引き受けてきた。尹氏が大衆の脳裏に刻まれたのは2013年で、国家情報院コメントねつ造事件を捜査して上部と摩擦していた中、これを暴露して「人に忠誠をつくさない」という言葉を残した。これにより平検事に左遷された尹氏は、朴槿恵政府で「崔順実(チェ・スンシル)ゲート」が浮上することで華やかに復活した。捜査チーム長を引き受けて朴槿恵前大統領などを拘束起訴した。文在寅(ムン・ジェイン)大統領によってソウル中央地検長に抜擢された尹氏は李明博元大統領も拘束起訴し、一部では「保守の元凶」とも呼ばれた。
だが、与党との春の日は少しの間だった。与党の寵児だったチョ・グク前法務部長官の捜査を基点に、蔚山(ウルサン)市長選挙介入疑惑、月城(ウォルソン)原発経済性ねつ造疑惑など文在寅政府の心臓に矛先を向けた。チョ前長官の後任だった秋美愛(チュ・ミエ)法務部長官と激しい対立の末に昨年3月辞表を出した。この過程を経て「保守の適者」として浮上した尹氏は6月29日「公正と常識、法治を正しく立て直したい」という言葉で大統領選に飛び込み、254日ぶりに大統領選で勝利を握った。
尹氏の勝利に関して、尹氏の幼い時代の友人であり法学者である延世(ヨンセ)大法学専門大学院のイ・チョル教授は「友人として苦言する時はもう終わったと思う」としながらこのような寸評を残した。「尹氏の傾向と哲学からみると、右に偏り過ぎた発言もして大統領選を行った。言いたくないことを言いながら多くの勢力を政権交代の仲間に入れるためだったと思われるが、胆嚢をかむような心情だっただろう。勝負師的な気質や忍耐心、戦略的思考に基づいたものだ。執権すれば、元のキャラクター通りに公正と常識に忠実な統合のリーダーになると考える。自分の陣営だけが正しいという傲慢が政権交代につながった。もう他の陣営の論理が繰り返されないようにするのが大事な課題だ」。
尹氏は当選が確定した10日明け方、国会図書館に設けられた国民の力の開票状況室を訪ねて「本日、この結果は私と国民の力、、安哲秀(アン・チョルス)代表とともにした国民の党の勝利というよりは偉大な国民の勝利ではないかと考える」と述べた。
尹氏は李在明候補と正義党の沈相ジョン(シム・サンジョン)候補に向かって「二方にも感謝を申し上げ、大韓民国の政治発展に私たちがともに大きく貢献したということから、その価値を高く評価したい」とし「皆が力を合わせて国民と大韓民国のために一つになるべきだ」と語った。また、「当選者身分で新政府を準備し、大統領職を正式に引き受けることになれば、憲法精神を尊重して議会を尊重し、野党と協力しながら国民に仕えたい」と語った。
李在明氏は「最善を尽くしたが、期待に応えられなかった。すべての責任は私にある」と承服した。勝者と敗者は分かれたが、その過程は言葉通りに手に汗を握る接戦だった。両候補間の格差はわずか0.76%ポイント。歴代大統領選で格差が最も少なかった第15代大統領選〔金大中(キム・デジュン)40.27%、李会昌(イ・フェチャン)38.74%〕の1.53%ポイント差の半分だった。0.6%ポイントの差(尹氏48.4%、李氏47.8%)だったKBS・MBC(文化放送)・SBSテレビ局3社の出口調査の結果と大きく変わらなかなった。
最終投票率は77.1%と暫定集計された。当初4と5日に2日間行われた事前投票で歴代最高となる37.93%を記録し、1997年第15代大統領選以来初めて80%を超える可能性があるという見通しも出たが、第19代大統領選の最終投票率(77.2%)より0.1%ポイント低かった。
1991年司法高試(司法試験)に合格(司法研修院第23期)した尹氏は26年間「強骨検事」と呼ばれてきた。盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の側近だった安熙正(アン・ヒジョン)前忠南(チュンナム)知事と李明博(イ・ミョンバク)元大統領の兄・イ・サンドク元議員を拘束起訴するなど、陣営を離れて捜査を引き受けてきた。尹氏が大衆の脳裏に刻まれたのは2013年で、国家情報院コメントねつ造事件を捜査して上部と摩擦していた中、これを暴露して「人に忠誠をつくさない」という言葉を残した。これにより平検事に左遷された尹氏は、朴槿恵政府で「崔順実(チェ・スンシル)ゲート」が浮上することで華やかに復活した。捜査チーム長を引き受けて朴槿恵前大統領などを拘束起訴した。文在寅(ムン・ジェイン)大統領によってソウル中央地検長に抜擢された尹氏は李明博元大統領も拘束起訴し、一部では「保守の元凶」とも呼ばれた。
だが、与党との春の日は少しの間だった。与党の寵児だったチョ・グク前法務部長官の捜査を基点に、蔚山(ウルサン)市長選挙介入疑惑、月城(ウォルソン)原発経済性ねつ造疑惑など文在寅政府の心臓に矛先を向けた。チョ前長官の後任だった秋美愛(チュ・ミエ)法務部長官と激しい対立の末に昨年3月辞表を出した。この過程を経て「保守の適者」として浮上した尹氏は6月29日「公正と常識、法治を正しく立て直したい」という言葉で大統領選に飛び込み、254日ぶりに大統領選で勝利を握った。
尹氏の勝利に関して、尹氏の幼い時代の友人であり法学者である延世(ヨンセ)大法学専門大学院のイ・チョル教授は「友人として苦言する時はもう終わったと思う」としながらこのような寸評を残した。「尹氏の傾向と哲学からみると、右に偏り過ぎた発言もして大統領選を行った。言いたくないことを言いながら多くの勢力を政権交代の仲間に入れるためだったと思われるが、胆嚢をかむような心情だっただろう。勝負師的な気質や忍耐心、戦略的思考に基づいたものだ。執権すれば、元のキャラクター通りに公正と常識に忠実な統合のリーダーになると考える。自分の陣営だけが正しいという傲慢が政権交代につながった。もう他の陣営の論理が繰り返されないようにするのが大事な課題だ」。
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