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【噴水台】五輪と政治

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
「スポーツと政治は関連付けてはならない」という金言はオリンピック(五輪)憲章(50条2項)にそのまま含まれている。「いかなる種類のデモも、政治的・宗教的・人種的宣伝も許さない」という規定だ。しかし、逆説的にも、五輪は随時国際政治の風に乗った。

1933年に執権したアドルフ・ヒトラーは、民族主義の高揚とナチ体制の宣伝を目的に、1936年ベルリン五輪開催を押し通した。巨額をかけてベルリン郊外に10万人を収容する壮大なスタジアムを建設し、国力を誇示した。

1968年メキシコシティ五輪では男子陸上200メートルで1位と3位を占めた米国人トミー・スミスとジョン・カルロスの授賞式のパフォーマンスが有名だ。表彰台に上がった2人は星条旗を見つめる代わりに、黒い手袋を着用して頭を垂れ、拳を空高くつき上げた。同年4月に暗殺されたマーティン・ルーサー・キング牧師に対する追悼、人種差別に対する抗議の意を込めた。


1972年、ミュンヘン五輪はテロに染まった。パレスチナのテロリスト組織「黒い九月」が秘密裏にイスラエル選手村に乱入し、選手5人、コーチングスタッフ4人、審判2人の11人を人質に取った。黒い九月はイスラエルに拘禁されたパレスチナ捕虜234人の釈放を要求した。結局、人質全員と警察官1人が死亡した惨事として歴史に残った。

その後は政治的ボイコットが頻発した。1976年モントリオール五輪では人種差別国家の南アフリカと親善ラグビー競技を開催したニュージーランドに対して国際五輪委員会(IOC)が制裁しないという理由で、アフリカ26カ国が集団ボイコットを行った。1980年のモスクワ五輪の際は、米国と西方国家がソ連のアフガン侵攻を問題として集団ボイコットし、1984年LA五輪には共産権国家が参加しなかった。

4日に開幕した北京冬季五輪も複数の政治的波紋を生んでいる。まず、米国・英国など10カ国以上が「外交的ボイコット」を宣言した。人権問題を大義名分としたが、米中覇権戦争の延長線とする見方が支配的だ。

隣国でも五輪をきっかけに反中感情が高まっている。韓国と日本ではショートトラックとスキージャンプの判定が議論されている。台湾では習近平主席の首脳級外賓招待のレセプションについて「皇帝式」という批判が出た。今回の五輪のスローガンである「未来に向かって一緒に(Together for a shared future)」とは距離が遠い風景だ。

ハン・ヨンイク/政治エディター



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