青瓦台(チョンワデ、韓国大統領府)は外部の人だけに威圧的なのではない。金大中(キム・デジュン)大統領は初日の夜の所感をこのように残した。
「私に圧力を加えた歴代の執権者がいたところ、青瓦台の官邸で深く考えた。彼らは果たしてここで何を考えたのだろうか。妻は部屋があまりにも広くて驚く表情だった。落ち着かないようだった。70代の私たち夫婦が過ごすにはあまりにも大きくて寂しい感じだった」(『金大中自叙伝』)。
空間の威力も体感した。李姫鎬(イ・ヒホ)夫人が椅子に座ろうとしたが、後ろにずれて腰から床に落ちたことがあった。ひどく痛めて職員を呼んだが、20分間ほど誰も来なかった。金大統領は「書斎の扉があまりにも重厚で、叫んでも聞こえなかったようだ」と書いた。
「青瓦台から出る時、李明博(イ・ミョンバク)大統領は人気があると思っていた」。李明博政権の青瓦台関係者が最近話した言葉だ。実際、そう話す人は少なくない。青瓦台が民心と遠いからだ。BSE(牛海綿状脳症)ろうそく集会が光化門(クァンファムン)を埋めた当時、李大統領は青瓦台官邸の裏山に登った。そして「デモ隊の姿が目に入り、『朝露』の歌も聞こえてきた」(『大統領の時間』)とした。大変な集会だったのは言うまでもない。少なくとも大統領が青瓦台の裏山に登ってこそ「光化門」を感じられることが分かる。
青瓦台はそれで世論調査をよくする。それでも民心を正確に把握できるわけではない。2020年8月の国会運営委員会で盧英敏(ノ・ヨンミン)大統領秘書室長と金汀才(キム・ジョンジェ)国民の力議員の不動産問題の舌戦を見ても分かる。盧室長が「多数が政策を支持している」と声を高めると、金議員が「それだから耳をふさいで目を閉じているという声が出る」と言った。盧室長は「我々も世論調査をしている」と述べると、金議員が真剣な表情で「我々というのは国民と遊離した青瓦台の我々ということか」と問い返した。当時の支持率は盧室長の主張通りだっただろう。しかし現実は金議員の言葉に近かった。
このように歪みを生む青瓦台という空間から歴代大統領候補は脱出することを望んだ。金泳三(キム・ヨンサム)大統領は候補時代に政府ソウル庁舎内での執務を公約とし、金大中政権の発足時にはソウル庁舎で勤務する案を推進した。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は当選後、趙舜衡(チョ・スンヒョン)議員から「大統領の執務室をソウル庁舎に移すのがよい」という助言を聞いた。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領も2012年に続いて2017年に「光化門大統領」を約束した。歴代大統領のうち唯一、青瓦台参謀経験がある彼はこのように話した。「(青瓦台は)秘書室さえも大統領と遠く離れていて、秘書室長が大統領に会う時も車で行かなければいけない権威的なところだ。その広い青瓦台の大部分が大統領のための空間であり、ごく一部が数百人の秘書室職員の業務空間として使用するおかしなところだった。私が青瓦台に勤務した時から問題があると考えてきた。大統領になれば実践してみる」。
的確な診断だったが実践はしていない。文大統領の青瓦台はむしろはるかに権威的な空間になった(『青瓦台政府』)。
いくつかの理由のため実現しなかったが、代表的なのが警護論理だ。政府ソウル庁舎は外部の攻撃に露出し、大統領の出退勤も危険要因だ。実際、主要国の首脳は一つの空間で住居・業務を遂行したりする。メルケル前独首相のように首相公館ではなく私邸に住んで出退勤するケースもあるが。また、移転の必要性を強く感じる頃には任期がかなり過ぎていて動力を失うという問題もあった。青瓦台出身のある人物は「青瓦台に一度入れば(庁舎に)出てくることができない」と語った。
今回は与党の共に民主党の李在明(イ・ジェミョン)候補が消極的である中、野党の国民の力の尹錫悦(ユン・ソクヨル)候補、国民の党の安哲秀(アン・チョルス)候補は大統領になれば青瓦台を離れると話している。どうなるのだろうか。
コ・ジョンエ/論説委員
「私に圧力を加えた歴代の執権者がいたところ、青瓦台の官邸で深く考えた。彼らは果たしてここで何を考えたのだろうか。妻は部屋があまりにも広くて驚く表情だった。落ち着かないようだった。70代の私たち夫婦が過ごすにはあまりにも大きくて寂しい感じだった」(『金大中自叙伝』)。
空間の威力も体感した。李姫鎬(イ・ヒホ)夫人が椅子に座ろうとしたが、後ろにずれて腰から床に落ちたことがあった。ひどく痛めて職員を呼んだが、20分間ほど誰も来なかった。金大統領は「書斎の扉があまりにも重厚で、叫んでも聞こえなかったようだ」と書いた。
「青瓦台から出る時、李明博(イ・ミョンバク)大統領は人気があると思っていた」。李明博政権の青瓦台関係者が最近話した言葉だ。実際、そう話す人は少なくない。青瓦台が民心と遠いからだ。BSE(牛海綿状脳症)ろうそく集会が光化門(クァンファムン)を埋めた当時、李大統領は青瓦台官邸の裏山に登った。そして「デモ隊の姿が目に入り、『朝露』の歌も聞こえてきた」(『大統領の時間』)とした。大変な集会だったのは言うまでもない。少なくとも大統領が青瓦台の裏山に登ってこそ「光化門」を感じられることが分かる。
青瓦台はそれで世論調査をよくする。それでも民心を正確に把握できるわけではない。2020年8月の国会運営委員会で盧英敏(ノ・ヨンミン)大統領秘書室長と金汀才(キム・ジョンジェ)国民の力議員の不動産問題の舌戦を見ても分かる。盧室長が「多数が政策を支持している」と声を高めると、金議員が「それだから耳をふさいで目を閉じているという声が出る」と言った。盧室長は「我々も世論調査をしている」と述べると、金議員が真剣な表情で「我々というのは国民と遊離した青瓦台の我々ということか」と問い返した。当時の支持率は盧室長の主張通りだっただろう。しかし現実は金議員の言葉に近かった。
このように歪みを生む青瓦台という空間から歴代大統領候補は脱出することを望んだ。金泳三(キム・ヨンサム)大統領は候補時代に政府ソウル庁舎内での執務を公約とし、金大中政権の発足時にはソウル庁舎で勤務する案を推進した。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は当選後、趙舜衡(チョ・スンヒョン)議員から「大統領の執務室をソウル庁舎に移すのがよい」という助言を聞いた。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領も2012年に続いて2017年に「光化門大統領」を約束した。歴代大統領のうち唯一、青瓦台参謀経験がある彼はこのように話した。「(青瓦台は)秘書室さえも大統領と遠く離れていて、秘書室長が大統領に会う時も車で行かなければいけない権威的なところだ。その広い青瓦台の大部分が大統領のための空間であり、ごく一部が数百人の秘書室職員の業務空間として使用するおかしなところだった。私が青瓦台に勤務した時から問題があると考えてきた。大統領になれば実践してみる」。
的確な診断だったが実践はしていない。文大統領の青瓦台はむしろはるかに権威的な空間になった(『青瓦台政府』)。
いくつかの理由のため実現しなかったが、代表的なのが警護論理だ。政府ソウル庁舎は外部の攻撃に露出し、大統領の出退勤も危険要因だ。実際、主要国の首脳は一つの空間で住居・業務を遂行したりする。メルケル前独首相のように首相公館ではなく私邸に住んで出退勤するケースもあるが。また、移転の必要性を強く感じる頃には任期がかなり過ぎていて動力を失うという問題もあった。青瓦台出身のある人物は「青瓦台に一度入れば(庁舎に)出てくることができない」と語った。
今回は与党の共に民主党の李在明(イ・ジェミョン)候補が消極的である中、野党の国民の力の尹錫悦(ユン・ソクヨル)候補、国民の党の安哲秀(アン・チョルス)候補は大統領になれば青瓦台を離れると話している。どうなるのだろうか。
コ・ジョンエ/論説委員
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