2017年4月25日、円卓会議形態に進行されたJTBC・中央日報・韓国政治学会共同主催の大統領候補テレビ討論場面 [中央フォト]
「政策対決の失踪」。1987年以降のすべての大統領選挙で韓国の新聞に毎回登場する記事の見出しだ。キズの多い候補がトップを争う今回の選挙は特にネガティブ競争が激しい。それでも候補の政策に注目する有権者が少なくないことが分かる。ある経済専門ユーチューブチャンネルの候補インタビューに集まった関心がこれを表している。該当チャンネルには「国を救った」という書き込みが多かった。有権者が本当に望むことは何か、オールドメディア従事者として自らを振り返らせるものだった。
今はもう本格的なテレビ討論が行われる時期だ。尹錫悦(ユン・ソクヨル)候補が討論に消極的な立場を変えただけに、2月に予定された法定討論まで待つ必要もなく候補間の対面討論を見ることを望む。投票する候補を決めて変更する考えがないという有権者の比率が70%を超えるのに、討論はそれほど重要でないという反論もあるだろう。しかしそれは一面だけを見たものにすぎない。陣営の論理にとらわれた有権者、ファンダムで一つになった情熱支持者の心はテレビ討論で揺らぐことはないだろうが、実際に大統領選挙の行方を決めるのは、未定または支持候補を変える可能性がある有権者だ。その有権者に判断の機会を提供する場がテレビ討論となる。ただ、歴代選挙でテレビ討論が役割を十分に果たせなかっただけだ。映画・ドラマなど世界最高水準のコンテンツ製作力が色あせるほど、韓国のテレビ討論水準は落第点だった。候補別の時間配分に機械的均衡を守る制約、現場の状況に対応できず討論の流れを切ってしまう進行方式などの問題が、密度のある討論を妨げる要因だった。また、2者対談でなく多者座談会形式であり、討論が散漫になる傾向もあった。しかしこうした問題は難なく解決できるだろう。根本的な問題は演出よりも俳優(候補)の水準と能力と意志だ。候補は有権者の望みと期待に応じる義務がある。討論を回避する者は有権者の選択を受ける資格がない。
もちろん大統領選挙は話し上手な人を選ぶ雄弁大会でない。滑らかでなくディテールに弱くても、正しい方向を提示して誠意を込めて訴える候補を有権者は十分に判断できる。誰が偽ったり誇張したりして話すのかも分かる。有権者の目で見ると、今回の選挙は最善は望めず、次善でもなく、誰が最悪でないかを判断する次悪を鑑別する選挙になってしまった。それでも次悪を選ぶ鑑別力は非常に重要だ。有権者の鑑別力までが崩れれば次悪でなく最悪が選ばれることになる。これほど致命的な不幸がどこにあるだろうか。両目を大きく開きながらテレビ討論を見て、検証に検証を重ねなければいけない理由だ。
イェ・ヨンジュン/論説委員
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