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【コラム】憎悪は私の力=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
今回の大統領選挙は憎悪投票になるだろう。どの陣営にも自陣の候補に熱狂する雰囲気はない。ただ相手候補に向けられた敵意があるだけだ。相手に対する憎悪、これが彼らが味方候補を支持する唯一の理由だ。どうして政治がこんな状況になったのだろうか。それでも慰めがあるとするならば、これが韓国だけでなく世界のあちこちで広がっている現象という点だ。

米国の場合はトランプ政権以降にこの現象が克明だった。過去には民主党にも共和党っぽい議員がいたし、共和党にも民主党っぽい議員がいたが、いまは2党が互いに混ざることができないよう明確に分かれた。こうして陣営に分かれた有権者が互いに相手に敵意と憎悪を浴びせることが政治の新たな日常になったということだ。

もちろん過去にも2つの陣営の間には敵対感があった。だが最近ではそのレベルが行き過ぎで、最初から対話と妥協に基づいた民主主義の基盤そのものを押し倒す状況に達したと診断される。問題は憎悪の感情に基づいた政治を再び理性的な対話に基づいた政治に戻すことだ。しかしそれは考えるより容易なものではない。


デカルトのような合理主義者は理性で感情を手懐けることができると信じた。これに対し経験主義者のヒュームはデカルトの考えは非現実的だと結論付ける。日常を観察してみると理性が感情に勝つケースはなかったということだ。その代案としてヒュームは以夷制夷の戦法、すなわち特定の感情をそれよりさらに強力な感情でコントロールする方法を提示する。

しかし人間が持っている多くの感情の中で最も強力なものが憎悪の感情ではないのか。愛がいくら力が強くても憎悪ほど執拗で強烈にはなれない。だから別の感情で憎悪をコントロールするというヒュームの戦略もここには効果がない。文明という巨大な感情の淀みを包む薄いマントルのようなもの。一度爆発すれば手のほどこしようもなくなる。

民主党支持者にとって「国民の力」の尹錫悦(ユン・ソクヨル)候補は「悪魔」だ。その憎悪がどれだけ強烈なのか、チョ・グク氏をめぐるスキャンダルが起きた時にチョ元長官の支持者は尹錫悦氏の呪いの人形を作り針で刺しまくるほどだった。この時形成された「悪魔像」はチョン・ギョンシム教授の重刑宣告により検察捜査の正当性が裁判所で認められたいまでも原形そのままに支持者の頭の中に入っている。

野党支持者に民主党の李在明(イ・ジェミョン)候補は「組織暴力市長」だ。彼らは『アシュラ』を映画ではなくドキュメンタリーだと考える。さらに映画の中のアンナム市のモデルが城南市(ソンナムシ)だったという説まで飛び交う。興行に失敗したこの映画が最近ネットフリックスで逆走しているという。野党支持者の頭の中に李在明候補はこうしてアンナム市長として定着しつつある。


【コラム】憎悪は私の力=韓国(2)

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