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【コラム】金大中の日本文化開放と韓流の始まり(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
これによって父親の役割は終わる。その後は両者の母親同士の交流が始まり、装飾品まで届けられて巫女との相談を通じて適切な婚姻日が決まる。そして西洋の教授が目には、驚くべきことに新郎と新婦は結婚式の当日まで互いのことを一度も見たことがない状態で婚礼をあげて新しい暮らしを築きながら生きていくことになる。西洋では先に恋愛をして2人が合意することで結婚が成立するが、どうしたら結婚式の日に初めて会った人々が自分にハングルを教えるソンビのように仲睦まじく暮らせるのか-もちろん他の人々がいる時は他人のように、周囲に人がいない時になって恋人のようにだが-と思った。

結局、教授は韓国の結婚のこのような様子を見て、両親が決めた結婚相手との結婚が両家の間でも調整されながらバランスよく適切に成立するため、西洋の恋愛結婚以上に適切なものではないかと考えたのだ。「彼らの方法がわれわれの方法よりももっと繊細で洗練されたものではないか」という考えだ。

私は話を終えて安心して文化開放をするよう話した。日本文化よりも韓国文化のほうがしっかりしているから、日本の倭色文化が少しは流入するかもしれないが、結局は韓国でその力を出すことはできないだろうと言った。韓国文化は西洋文化よりもしっかりしているから心配することは少しもない、だから開放しろと話した。


それから1年ほど過ぎたころだ。東洋と西洋文化の境界地であるトルコ・イスタンブールで遺跡を見物していたが、あまりの暑さに何か飲もうと思って小さな店に入った。会計をしようと思ったが、どこにも店員がいなかった。喉はすっかり乾いていたが、会計前に飲み物を飲むのは良心が許さず、店員をしばらく待って、ついに建物の奥まで入っていって「誰か人はいませんか」と声をかけた。奥にいた女性は座ってテレビを見ていて私が呼ぶのに返事さえせず、私は内心すっかりあきれていた。ところがその女性が見ていたのはトルコ語に吹き替えられた韓国の時代劇だった。私は内心、大きな満足感を感じた。1年余り前に文化開放を躊躇せずにしなさいと言ったことは本当に正しい助言だったと思った。この時が世界韓流ブームの始まりだった。

イン・ヨハン/セブランス病院国際診療センター所長・延世(ヨンセ)大医大教授


【コラム】金大中の日本文化開放と韓流の始まり(1)

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