旧日本軍「慰安婦」被害おばあさんが日本政府に対して起こした2件目の損害賠償請求に対して韓国裁判所が却下の決定を下しましたが、このことを報じた新聞に掲載されていた少女像の写真が私の胸をえぐります。雨に濡れた少女像の姿がまるで涙を流しているように見えたからです。今回の判決は今年1月に慰安婦被害者に対する日本の賠償責任を認めた1件目の訴訟第1審判決とは交錯した結論です。被害者の苦痛だけを大きくした結果になりました。李容洙(イ・ヨンス)おばあさんは「心底あきれる。国際司法裁判所に必ず行く」と言って涙を見せました。原告20人のうち生きている方は今では4人となりました。現政権が2015年朴槿恵(パク・クネ)・安倍政府の慰安婦合意を否定して、和解・癒やし財団を解散してしまった報いというでしょう。
日本政府の福島原子力発電所汚染水海洋放出決定も韓日関係の新たな障害物です。これの原因は隣国に説明と理解を求めなかった傲慢さです。日本メディアは「今年1月、福島近海の水深37メートルの漁場でとれたソイから放射性物質であるセシウムが検出されて出荷が禁止された」と報じました。昨年、日本政府の世論調査でも日本人の70%が汚染水が「身体に危険で有害」として海洋放出について懸念を示しました。放出反対デモが続くなど自国民でさえ納得できない決定をどのように強行できるでしょうか。コロナが猛威を振るう中で開催するという東京オリンピック(五輪)は果たして何の問題もないのでしょうか。米国と国際原子力機関(IAEA)、国際オリンピック委員会(IOC)が日本側に立つことも私たちを困惑させます。
韓国と日本は隣国として生きてきた数千年の間、愛憎が交錯する関係でした。古代文字解読の専門家キム・ヨンフェさんは日本人のアイデンティティと呼ばれる『万葉集』が新羅郷歌と同じ手法で書かれたという論証を最近の著書『万葉集は郷歌だった』に載せて人々を驚かせました。郷歌の漢字は当時の表音文字ではなく、表意文字として機能し、文字の配列は韓国語の語順に従っているとキム氏は主張します。郷歌は単なる歌ではなく祈りが込められた公演台本という解釈です。
西暦660年8月、百済の首都シビ城が新羅と唐による「羅唐連合軍」によって陥落すると、翌年1月に義慈王の息子・扶余豊と力を合わせて百済奪還戦争を準備した斉明天皇が作った歌が万葉集第一巻の8番目に登場する歌です。この歌の日本式解釈はこうです。
「熟田津で船を出発させようと月を待っていると、潮の流れも良くなってきた。今こそ漕ぎ出そう」
意味で解いたキム氏の郷歌解読法によるとこうなります。
「穀物の実った畑の渡し場であなたが冥土の船に乗り込む。月が浮かぶのを待っているが、満ちた潮が一緒に沼に押し寄せてくる。あなたが安らかにあの世に向かうことができるよう祈る」
死を覚悟して戦線に立ち向かう心境と戦場で朽ちていった人々に対する追慕が伺えます。しかし663年、倭と百済の復興軍は白村江河口で大敗を喫します。本土への攻撃を恐れた倭は667年に首都奈良を内陸の近江に遷都して国号も倭国から日本に変えました。
『万葉集』第一巻最後の作品である84番目の歌に「高野」という名前が登場します。この歌に対する日本式の解釈はこうです。
「秋になれば、今もわれわれが見ているように妻を恋しく思う牡鹿が鳴く山であるよ、高野原の上では」
キム氏の郷歌式解読はこうです。
「秋が過ぎてやっと今現れるのか。あなたが恋しかった。鹿がいつか泣くことになる山、高野原の家にあなたをお迎えするだろう」
この歌に出てくる高野は百済武寧(ムリョン)王の子孫である高野新笠です。
随筆家の岡部伊都子氏は著書『女人の京』にこのように書いています。「渡来文化が華やかに花咲いていた平安時代は百済出身の母親を持つ桓武天皇時から始まった…高野は第49代光仁天皇の皇后だった」。
日本の『万葉集』が新羅郷歌と同じ方式で詠まれたということを直接解読して立証したので、この後は日本学界の研究が続くべきでしょう。
急変する世界情勢は韓日関係の再確立を要求します。世界2強として崛起する中国とロシアという大陸勢力、そして世界最強の米国と日本につながる海洋勢力の間で、私たちのあるべき位置が韓民族の未来を決定することになるのです。さらに今は日米豪印戦略対話(QUAD=クアッド)体制で新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)ワクチンの確保が急がれる時点です。ワクチンを自主開発できないせいでもあります。
ユ・ジャヒョ/詩人
日本政府の福島原子力発電所汚染水海洋放出決定も韓日関係の新たな障害物です。これの原因は隣国に説明と理解を求めなかった傲慢さです。日本メディアは「今年1月、福島近海の水深37メートルの漁場でとれたソイから放射性物質であるセシウムが検出されて出荷が禁止された」と報じました。昨年、日本政府の世論調査でも日本人の70%が汚染水が「身体に危険で有害」として海洋放出について懸念を示しました。放出反対デモが続くなど自国民でさえ納得できない決定をどのように強行できるでしょうか。コロナが猛威を振るう中で開催するという東京オリンピック(五輪)は果たして何の問題もないのでしょうか。米国と国際原子力機関(IAEA)、国際オリンピック委員会(IOC)が日本側に立つことも私たちを困惑させます。
韓国と日本は隣国として生きてきた数千年の間、愛憎が交錯する関係でした。古代文字解読の専門家キム・ヨンフェさんは日本人のアイデンティティと呼ばれる『万葉集』が新羅郷歌と同じ手法で書かれたという論証を最近の著書『万葉集は郷歌だった』に載せて人々を驚かせました。郷歌の漢字は当時の表音文字ではなく、表意文字として機能し、文字の配列は韓国語の語順に従っているとキム氏は主張します。郷歌は単なる歌ではなく祈りが込められた公演台本という解釈です。
西暦660年8月、百済の首都シビ城が新羅と唐による「羅唐連合軍」によって陥落すると、翌年1月に義慈王の息子・扶余豊と力を合わせて百済奪還戦争を準備した斉明天皇が作った歌が万葉集第一巻の8番目に登場する歌です。この歌の日本式解釈はこうです。
「熟田津で船を出発させようと月を待っていると、潮の流れも良くなってきた。今こそ漕ぎ出そう」
意味で解いたキム氏の郷歌解読法によるとこうなります。
「穀物の実った畑の渡し場であなたが冥土の船に乗り込む。月が浮かぶのを待っているが、満ちた潮が一緒に沼に押し寄せてくる。あなたが安らかにあの世に向かうことができるよう祈る」
死を覚悟して戦線に立ち向かう心境と戦場で朽ちていった人々に対する追慕が伺えます。しかし663年、倭と百済の復興軍は白村江河口で大敗を喫します。本土への攻撃を恐れた倭は667年に首都奈良を内陸の近江に遷都して国号も倭国から日本に変えました。
『万葉集』第一巻最後の作品である84番目の歌に「高野」という名前が登場します。この歌に対する日本式の解釈はこうです。
「秋になれば、今もわれわれが見ているように妻を恋しく思う牡鹿が鳴く山であるよ、高野原の上では」
キム氏の郷歌式解読はこうです。
「秋が過ぎてやっと今現れるのか。あなたが恋しかった。鹿がいつか泣くことになる山、高野原の家にあなたをお迎えするだろう」
この歌に出てくる高野は百済武寧(ムリョン)王の子孫である高野新笠です。
随筆家の岡部伊都子氏は著書『女人の京』にこのように書いています。「渡来文化が華やかに花咲いていた平安時代は百済出身の母親を持つ桓武天皇時から始まった…高野は第49代光仁天皇の皇后だった」。
日本の『万葉集』が新羅郷歌と同じ方式で詠まれたということを直接解読して立証したので、この後は日本学界の研究が続くべきでしょう。
急変する世界情勢は韓日関係の再確立を要求します。世界2強として崛起する中国とロシアという大陸勢力、そして世界最強の米国と日本につながる海洋勢力の間で、私たちのあるべき位置が韓民族の未来を決定することになるのです。さらに今は日米豪印戦略対話(QUAD=クアッド)体制で新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)ワクチンの確保が急がれる時点です。ワクチンを自主開発できないせいでもあります。
ユ・ジャヒョ/詩人
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