北朝鮮の金正恩(キム・ジョンチョル)国務委員長が、妹である金与正(キム・ヨジョン)労働党第1副部長および実兄の金正哲(キム・ジョンチョル)氏と、南北問題や米朝交渉などの主要懸案をいつも協議していると複数の情報関係者が23日(現地時間)、伝えた。この関係者らは「金委員長が本当に重要な問題は3兄弟姉妹間の議論を経て決めているものと把握している」とし「直接、金委員長の口を通じてそのような事実が知らされたわけではないが、彼らが円満な関係の中で話を交わしているという情報が確認されたと承知している」と述べた。関係者らは「だが(3兄弟姉妹の協議過程で)正哲氏が諮問する役割の範囲と水準はそれほど大きくなさそうだ」とし「それでも兄弟が集まって重要事案を議論すること自体、金委員長が実兄(正哲氏)を尊重して自分側にとどめておこうとする努力の一環と解釈することができる」と付け加えた。正哲氏は金正日(キム・ジョンイル)前国防委員長(総書記)と20年間余り一緒に暮らした在日同胞出身の高容姫(コ・ヨンヒ)の間に生まれた。昨年2月、マレーシアのクアラルンプール空港で毒殺された金正男(キム・ジョンナム)は金正日と女優出身の成恵琳(ソン・ヘリム)の間に生まれた長男だ。高容姫は正哲氏(長男、37)と正恩氏(次男、34)、与正氏(長女、31)ら2男1女を産んだ。
2011年12月、金正日の死亡で弟である正恩氏が後継指導者として公式就任して以来、正哲氏の現況に関してはほぼ知られていない。国家情報院は朴槿恵(パク・クネ)政府時代だった2016年10月、国会情報委で「正哲氏が弟である金委員長に『本来の役割ができていない私を見守ってくれる大きな愛を施してくださった』という忠誠誓約を送った」とし「正哲氏は権力から徹底的に疎外されたまま監視を受けながら生活している」と明らかにしたことがある。情報関係者の伝言から見る時、北朝鮮が非核化交渉のテーブルに出てくる際に、南北間で特に積極的な姿勢にシフトした背景には、3兄弟姉妹の共感があった公算が大きい。米朝交渉の重大な峠を迎えるたびに、すべての決定は金正恩委員長の役割に違いないが、このような決断の過程で金委員長が信じて対話できるのは兄弟であり、白頭(ペクトゥ)血統である与正氏と正哲氏だけだという推論も可能だ。
今年に入って、南北首脳会談や米朝首脳会談などを通して妹の与正氏が大きな役割を果たしている様子は何度も確認されたが、金委員長の実兄・正哲氏も南北および米朝問題で金委員長の話相手になり、核心的ではないもののそれなりの役割を果たしているという情報が出たのは初めてだ。これに伴い、妹・与正氏が金委員長の儀典の責任を負い、主要懸案を把握して報告する「秘書室長」の役割を果たしているとすると、3歳年上の実兄・正哲氏は金委員長が忌憚なく話をして意見を求める隠れた諮問役を務めている可能性が提起される。
これに関連して、金委員長が正哲氏と与正氏に会う席には、これまで金委員長の対米伝令士を務めていた金英哲(キム・ヨンチョル)労働党副委員長も同席できないという。ただ、情報関係者らは「与正氏と違って正哲氏は、指導者である金委員長を徹底的に意識して、極度に注意しながら対外的に姿を見せないようにしている」と付け加えた。
元駐英北朝鮮大使館公使の太永浩(テ・ヨンホ)氏が今年5月出した本『3階書記室の暗号 太永浩の証言』によると、2015年正哲氏がギタリストのエリック・クラプトン氏のロンドン公演を見に来た際、金委員長は「首領の身辺安全に関連する特別事項」という暗号電文を通じて、公演会場で最も良い席を予約して正哲氏を専門的に案内する要員をつけるよう指示した。当時「1号通訳(金正恩通訳)」を担当するキム・ジュソン労働党国際部8課部員の推薦を通じて太氏がその役割を務めた。金委員長が実兄の英国訪問を細やかに準備したことを示すものだ。正哲氏は2011年にはシンガポールで与正氏と共にエリック・クラプトンの公演会場を共に訪れた様子が韓国メディアに捉えられたことがある。金委員長と正哲氏は、スイス・ベルンで学校に通っていた当時も、別々のチームに分かれていつもバスケットボールの試合をするなど親身な関係を維持してきたという。
ただし、金委員長が執権した後、巷間では正哲氏が事実上の拘禁状態という話も出回った。「個人バンド活動だけをしながら生存の保障を受けている」という報道もあった。2016年李炳浩(イ・ビョンホ)当時国家情報院長は「正哲氏が権力から疎外されたまま監視の中で生活していて、酒に酔って酒の瓶を割って暴れるなど、精神不安の症状を示している」と伝えていたことがある。
正哲氏をめぐり、2006年日本のあるメディアは、労働党中央委員会責任副部長に就いたことがあると報じたが、太氏によると正哲氏には何の肩書もなかった。政治的役割はなかったということだ。高位当局者は「現在、至近距離で強大な権力を行使している与正氏と、前面に出ればけん制を受けざるを得ない運命の正哲氏の間には(金委員長に対する)影響力の面で違いがある」としながら「だが、スイス・ベルンで留学を共にした3兄弟姉妹の結束力が、現在の北朝鮮の大変化を導いているという側面を軽視することはできない」と話した。
2011年12月、金正日の死亡で弟である正恩氏が後継指導者として公式就任して以来、正哲氏の現況に関してはほぼ知られていない。国家情報院は朴槿恵(パク・クネ)政府時代だった2016年10月、国会情報委で「正哲氏が弟である金委員長に『本来の役割ができていない私を見守ってくれる大きな愛を施してくださった』という忠誠誓約を送った」とし「正哲氏は権力から徹底的に疎外されたまま監視を受けながら生活している」と明らかにしたことがある。情報関係者の伝言から見る時、北朝鮮が非核化交渉のテーブルに出てくる際に、南北間で特に積極的な姿勢にシフトした背景には、3兄弟姉妹の共感があった公算が大きい。米朝交渉の重大な峠を迎えるたびに、すべての決定は金正恩委員長の役割に違いないが、このような決断の過程で金委員長が信じて対話できるのは兄弟であり、白頭(ペクトゥ)血統である与正氏と正哲氏だけだという推論も可能だ。
今年に入って、南北首脳会談や米朝首脳会談などを通して妹の与正氏が大きな役割を果たしている様子は何度も確認されたが、金委員長の実兄・正哲氏も南北および米朝問題で金委員長の話相手になり、核心的ではないもののそれなりの役割を果たしているという情報が出たのは初めてだ。これに伴い、妹・与正氏が金委員長の儀典の責任を負い、主要懸案を把握して報告する「秘書室長」の役割を果たしているとすると、3歳年上の実兄・正哲氏は金委員長が忌憚なく話をして意見を求める隠れた諮問役を務めている可能性が提起される。
これに関連して、金委員長が正哲氏と与正氏に会う席には、これまで金委員長の対米伝令士を務めていた金英哲(キム・ヨンチョル)労働党副委員長も同席できないという。ただ、情報関係者らは「与正氏と違って正哲氏は、指導者である金委員長を徹底的に意識して、極度に注意しながら対外的に姿を見せないようにしている」と付け加えた。
元駐英北朝鮮大使館公使の太永浩(テ・ヨンホ)氏が今年5月出した本『3階書記室の暗号 太永浩の証言』によると、2015年正哲氏がギタリストのエリック・クラプトン氏のロンドン公演を見に来た際、金委員長は「首領の身辺安全に関連する特別事項」という暗号電文を通じて、公演会場で最も良い席を予約して正哲氏を専門的に案内する要員をつけるよう指示した。当時「1号通訳(金正恩通訳)」を担当するキム・ジュソン労働党国際部8課部員の推薦を通じて太氏がその役割を務めた。金委員長が実兄の英国訪問を細やかに準備したことを示すものだ。正哲氏は2011年にはシンガポールで与正氏と共にエリック・クラプトンの公演会場を共に訪れた様子が韓国メディアに捉えられたことがある。金委員長と正哲氏は、スイス・ベルンで学校に通っていた当時も、別々のチームに分かれていつもバスケットボールの試合をするなど親身な関係を維持してきたという。
ただし、金委員長が執権した後、巷間では正哲氏が事実上の拘禁状態という話も出回った。「個人バンド活動だけをしながら生存の保障を受けている」という報道もあった。2016年李炳浩(イ・ビョンホ)当時国家情報院長は「正哲氏が権力から疎外されたまま監視の中で生活していて、酒に酔って酒の瓶を割って暴れるなど、精神不安の症状を示している」と伝えていたことがある。
正哲氏をめぐり、2006年日本のあるメディアは、労働党中央委員会責任副部長に就いたことがあると報じたが、太氏によると正哲氏には何の肩書もなかった。政治的役割はなかったということだ。高位当局者は「現在、至近距離で強大な権力を行使している与正氏と、前面に出ればけん制を受けざるを得ない運命の正哲氏の間には(金委員長に対する)影響力の面で違いがある」としながら「だが、スイス・ベルンで留学を共にした3兄弟姉妹の結束力が、現在の北朝鮮の大変化を導いているという側面を軽視することはできない」と話した。
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