7年前のことだが数日前のことのように記憶に残っている。まず、2011年3月に隣国の日本で発生した福島原子力発電所の惨事。当時、李明博(イ・ミョンバク)政権が野心を持って推進した原発拡大政策に冷や水を浴びせるきっかけになった。しかしわずか半年後の9月、韓国の大規模な循環停電事態を受け、安くて安定した電力調達の基盤として原発の重要性が再認識された。電力イシューがようやく国民的な関心を集めた1年間の2つの事件だった。
こうした反転は文在寅(ムン・ジェイン)政権に入ってから見られた一連の事件と重なる。昨年11月にマグニチュード(M)5.4の慶北浦項地震が原発の安全性に対する脱原発論者の懸念の声を高めたが、地震災害に劣らないこの夏の猛暑とこれによる冷房需要の急増、電力需給問題が原発の存在感を強めた。さらに韓国電力(韓電)のアーニングショック情報(今年上半期8000億ウォン台の営業赤字)は「脱原発速度責任論」をめぐる世論攻防を招いた。
しかしこの論争はさらに重要な点を逃している。進歩という現政権も過去の保守政権のように電気料金を掌握しているという事実だ。脱原発の速度違反はともかく、原発の稼働が減り、これを埋める石炭・石油・ガスのような代替発電燃料の国際相場上がったとすれば、これを電気料金に反映するのが妥当だ。ところが政府が料金を政治的な考慮で固定してしまえば赤字は増えるしかない。
韓国の奇形的なエネルギー税制と料金体系で電気は皮肉の対象になって久しい。「水道水より安いミネラルウォーター」「コメより安い包装米飯」「生地より安い服」など…。4月に就任して非常経営を宣言した金鍾甲(キム・ジョンガプ)韓電社長もSNSで電気原料と電気価格の逆転現象に触れながら「豆腐が豆より安くなった」と指摘した。
夏の冷房需要の急増は基本的には猛暑のためだが、電気料が他の先進国より相対的に安いためでもある。「家庭用電気料金累進制を一時的に緩和して料金の負担を減らすべき」という文大統領の最近の指示はポピュリズムという声を呼んだ。「悪い政治」(金文洙元ソウル市長候補)という野党の批判も出てきた。電気に適正価格をつけて経済原理で解決する問題を「大統領の指示」一つで政治的に解決する姿も過去の政権と同じだ。
公共基幹産業である電力に市場経済の基準を突きつけることはできない。しかし数十年間にわたり料金を無理に抑えたことによる浪費の風潮はすでに深刻なレベルにある。脱原発・脱石炭の「エネルギー転換」を強く推進するという現政権が「5年の執権期間は電気料金を引き上げない」(白雲揆産業通商資源部長官)という立場を乱発するのは無責任だ。
価格政策だけではない。保守も進歩も政権が交代するたびに長期エネルギー基本計画を自らの都合に合わせて描いたため、国民的な共感と信頼を得るどころか反対と葛藤を増幅させてきた。現政権が昨年末に出した第8次電力需給基本計画はどうか。2030年までに太陽光・風力など再生可能エネルギーの比率を20%に急激に高めるとし、電力料金引き上げも電力需給問題もないと主張した多くの人たちを当惑させた。エネルギー計画と電気料金を恣意的に決める政府、発電原価をまともに反映できず消費者の選択主権もない電力料金体制、これを黙認して迎合してきた公企業独占体制を放置しながら、理想的な「エネルギーミックス」を達成するというのはとんでもない。
このため脱原発のペダルを踏む前にさらに急がれることが脱国家路線だ。官冶料金の積弊をなくし、電気を民間と市場に任せる必要がある。「エネルギー百年大計」という名にふさわしく、多くの専門家と市民団体が提案してきた独立的委員会や社会的合意機構を設置しなければいけない。それこそが各家庭に太陽光パネルを設置し、市民が各自の電気を作って使う世の中、すなわち「エネルギー民主主義」の理念ではないのか。
ホン・スンイル/中央日報デザイン代表
こうした反転は文在寅(ムン・ジェイン)政権に入ってから見られた一連の事件と重なる。昨年11月にマグニチュード(M)5.4の慶北浦項地震が原発の安全性に対する脱原発論者の懸念の声を高めたが、地震災害に劣らないこの夏の猛暑とこれによる冷房需要の急増、電力需給問題が原発の存在感を強めた。さらに韓国電力(韓電)のアーニングショック情報(今年上半期8000億ウォン台の営業赤字)は「脱原発速度責任論」をめぐる世論攻防を招いた。
しかしこの論争はさらに重要な点を逃している。進歩という現政権も過去の保守政権のように電気料金を掌握しているという事実だ。脱原発の速度違反はともかく、原発の稼働が減り、これを埋める石炭・石油・ガスのような代替発電燃料の国際相場上がったとすれば、これを電気料金に反映するのが妥当だ。ところが政府が料金を政治的な考慮で固定してしまえば赤字は増えるしかない。
韓国の奇形的なエネルギー税制と料金体系で電気は皮肉の対象になって久しい。「水道水より安いミネラルウォーター」「コメより安い包装米飯」「生地より安い服」など…。4月に就任して非常経営を宣言した金鍾甲(キム・ジョンガプ)韓電社長もSNSで電気原料と電気価格の逆転現象に触れながら「豆腐が豆より安くなった」と指摘した。
夏の冷房需要の急増は基本的には猛暑のためだが、電気料が他の先進国より相対的に安いためでもある。「家庭用電気料金累進制を一時的に緩和して料金の負担を減らすべき」という文大統領の最近の指示はポピュリズムという声を呼んだ。「悪い政治」(金文洙元ソウル市長候補)という野党の批判も出てきた。電気に適正価格をつけて経済原理で解決する問題を「大統領の指示」一つで政治的に解決する姿も過去の政権と同じだ。
公共基幹産業である電力に市場経済の基準を突きつけることはできない。しかし数十年間にわたり料金を無理に抑えたことによる浪費の風潮はすでに深刻なレベルにある。脱原発・脱石炭の「エネルギー転換」を強く推進するという現政権が「5年の執権期間は電気料金を引き上げない」(白雲揆産業通商資源部長官)という立場を乱発するのは無責任だ。
価格政策だけではない。保守も進歩も政権が交代するたびに長期エネルギー基本計画を自らの都合に合わせて描いたため、国民的な共感と信頼を得るどころか反対と葛藤を増幅させてきた。現政権が昨年末に出した第8次電力需給基本計画はどうか。2030年までに太陽光・風力など再生可能エネルギーの比率を20%に急激に高めるとし、電力料金引き上げも電力需給問題もないと主張した多くの人たちを当惑させた。エネルギー計画と電気料金を恣意的に決める政府、発電原価をまともに反映できず消費者の選択主権もない電力料金体制、これを黙認して迎合してきた公企業独占体制を放置しながら、理想的な「エネルギーミックス」を達成するというのはとんでもない。
このため脱原発のペダルを踏む前にさらに急がれることが脱国家路線だ。官冶料金の積弊をなくし、電気を民間と市場に任せる必要がある。「エネルギー百年大計」という名にふさわしく、多くの専門家と市民団体が提案してきた独立的委員会や社会的合意機構を設置しなければいけない。それこそが各家庭に太陽光パネルを設置し、市民が各自の電気を作って使う世の中、すなわち「エネルギー民主主義」の理念ではないのか。
ホン・スンイル/中央日報デザイン代表
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