24日、ドイツで総選挙が行われる。一週間しか残っていない。ところで、不思議と思われるぐらいに静かだ。すでに勝者と敗者が明らかに分かれているからだろうか。世論調査の予測が当たれば、アンゲラ・メルケル首相は簡単に4選に成功するだろう。誰がメルケルの連合政府のパートナーになるかが最も大きな関心事だ。
これに対し、ドイツの週間ニュースのエディター、ヨーゼフ・ヨペ氏 は「つまらない選挙」と表現した。一時、難民問題が熱かったが、メルケル政府がこれも無難に克服し、全くホットイシューがないということだ。昨年一年間激しかった「肉薄戦」を繰り広げた米国大統領選挙やことし春の保守・進歩の既存二大政党を無惨に押し倒して中道革命が成功したフランス大統領選挙に比較すれば、今回のドイツ総選挙は実際にあまりにも地味だと言わざるを得ない。
このように逆説的に「興行に惨敗した」ドイツ総選挙を作ったのは中道右派メルケル首相のリーダーシップに一次的な原因があるだろう。さらに遡ると、メルケルの政治的ライバルだった中道左派ゲアハルト・シュレーダー元首相が確かな道を磨いておいたと見ることもできる。シュレーダーが内外の手荒い反対と批判を甘受して「欧州の病人」と呼ばれたドイツを思い切って手術台の上にのせることにした勇気のある政治家だったためだ。万一、当時シュレーダー首相が周辺の顔色をうかがい、政治的に計算ばかりしながらドイツの重病に目をそらしたなら、今日のメルケル首相が享受する「選挙平和」は考えもできなかった可能性が大きい。シュレーダーがばら撒いた改革の種のおかげでメルケルは大きな収穫を得ることができた。ドイツの7月失業率は3.7%だ。事実上、完全雇用(3%未満)を控えている。ユーロ圏(ユーロ貨幣使用19カ国)の平均失業率9.1%よりはるかに低い。隣国のフランスは9.8%だ。
最近、韓国を訪問したシュレーダー元首相は執権当時(1998~2005年)の経験をもう一度回顧した。シュレーダーが政権を譲り受けた98年、ドイツ経済は莫大な統一費用にあえぎ、マイナス成長をたどり失業率は2桁に達した。労働市場は冷え込み、福祉負担は日増しにのしかかった。これに対し、シュレーダー元首相は2003年「革新、成長、仕事、持続可能性」という表題の「アジェンダ2010」改革案を発表した。働く福祉を誘導し、労働市場を大々的に手術する政策だった。労組はもちろん、さらに党内一部でも連日シュレーダーに対する攻撃を浴びせた。しかし、この道だけがドイツを生かすことができると考えたシュレーダーは屈せずに押しつけた。だが、シュレーダーは当面人気がなく、苦痛な改革をしつこく推進した苛酷な代価を払わなければならなかった。政治家の観点から見ると納得できないかもしれないが、2005年総選挙でメルケルに敗れて退かなければならなかったわけだ。
バトンを受け継いだメルケル首相は前任者シュレーダーの政策を誠実に継承した。ドイツでは政府与党が交代されても主な政策基調は続けさせる伝統がある。社民党ヴィリー・ブラントの東方政策と緑色党が主導した脱原発政策が代表的だ。キリスト民主党のヘルムート・コールとメルケルはこれをドイツ統一とエネルギー改革へと発展させた。
戦後、ドイツはコンラート・アデナウアー、ブラント、コール、シュレーダー、メルケルのような偉大な政治指導者を大勢誕生させた。彼らが一様に見せてくれたリーダーシップは、ビジョンの提示と徹底した国民・国益中心の政治だった。目の前の党利党略よりは国家という共同体の繁栄を最上の価値とした。何回も大きい戦争を行った隣国のフランスとの和解、欧州統合と単一貨幣主導もいずれもこのように長い目で見据えるビジョンから出た。独りよがりを捨てて連合政府を通した協力政治を選び、多少の政治的論争はむしろ国家の発展に大きな役に立つ土台にした。
もちろん、どこの国でも政治的衝突はあるはずで、ドイツも同じだろう。ただし、それをどのように昇華させるかというのは結局政治家たちの役割だ。シュレーダーの訪韓は韓国の政治家たちに何を投げかけたのだろうか。彼の経験談が「馬の耳に念仏」にはならないでほしい。どの政治家が選挙で敗北したいだろうか。ところが、当面の不利を分かっていながらもこれに押し切ったシュレーダーのように、長い間歴史に残る、そのような政治指導者が我々もほしい。
これに対し、ドイツの週間ニュースのエディター、ヨーゼフ・ヨペ氏 は「つまらない選挙」と表現した。一時、難民問題が熱かったが、メルケル政府がこれも無難に克服し、全くホットイシューがないということだ。昨年一年間激しかった「肉薄戦」を繰り広げた米国大統領選挙やことし春の保守・進歩の既存二大政党を無惨に押し倒して中道革命が成功したフランス大統領選挙に比較すれば、今回のドイツ総選挙は実際にあまりにも地味だと言わざるを得ない。
このように逆説的に「興行に惨敗した」ドイツ総選挙を作ったのは中道右派メルケル首相のリーダーシップに一次的な原因があるだろう。さらに遡ると、メルケルの政治的ライバルだった中道左派ゲアハルト・シュレーダー元首相が確かな道を磨いておいたと見ることもできる。シュレーダーが内外の手荒い反対と批判を甘受して「欧州の病人」と呼ばれたドイツを思い切って手術台の上にのせることにした勇気のある政治家だったためだ。万一、当時シュレーダー首相が周辺の顔色をうかがい、政治的に計算ばかりしながらドイツの重病に目をそらしたなら、今日のメルケル首相が享受する「選挙平和」は考えもできなかった可能性が大きい。シュレーダーがばら撒いた改革の種のおかげでメルケルは大きな収穫を得ることができた。ドイツの7月失業率は3.7%だ。事実上、完全雇用(3%未満)を控えている。ユーロ圏(ユーロ貨幣使用19カ国)の平均失業率9.1%よりはるかに低い。隣国のフランスは9.8%だ。
最近、韓国を訪問したシュレーダー元首相は執権当時(1998~2005年)の経験をもう一度回顧した。シュレーダーが政権を譲り受けた98年、ドイツ経済は莫大な統一費用にあえぎ、マイナス成長をたどり失業率は2桁に達した。労働市場は冷え込み、福祉負担は日増しにのしかかった。これに対し、シュレーダー元首相は2003年「革新、成長、仕事、持続可能性」という表題の「アジェンダ2010」改革案を発表した。働く福祉を誘導し、労働市場を大々的に手術する政策だった。労組はもちろん、さらに党内一部でも連日シュレーダーに対する攻撃を浴びせた。しかし、この道だけがドイツを生かすことができると考えたシュレーダーは屈せずに押しつけた。だが、シュレーダーは当面人気がなく、苦痛な改革をしつこく推進した苛酷な代価を払わなければならなかった。政治家の観点から見ると納得できないかもしれないが、2005年総選挙でメルケルに敗れて退かなければならなかったわけだ。
バトンを受け継いだメルケル首相は前任者シュレーダーの政策を誠実に継承した。ドイツでは政府与党が交代されても主な政策基調は続けさせる伝統がある。社民党ヴィリー・ブラントの東方政策と緑色党が主導した脱原発政策が代表的だ。キリスト民主党のヘルムート・コールとメルケルはこれをドイツ統一とエネルギー改革へと発展させた。
戦後、ドイツはコンラート・アデナウアー、ブラント、コール、シュレーダー、メルケルのような偉大な政治指導者を大勢誕生させた。彼らが一様に見せてくれたリーダーシップは、ビジョンの提示と徹底した国民・国益中心の政治だった。目の前の党利党略よりは国家という共同体の繁栄を最上の価値とした。何回も大きい戦争を行った隣国のフランスとの和解、欧州統合と単一貨幣主導もいずれもこのように長い目で見据えるビジョンから出た。独りよがりを捨てて連合政府を通した協力政治を選び、多少の政治的論争はむしろ国家の発展に大きな役に立つ土台にした。
もちろん、どこの国でも政治的衝突はあるはずで、ドイツも同じだろう。ただし、それをどのように昇華させるかというのは結局政治家たちの役割だ。シュレーダーの訪韓は韓国の政治家たちに何を投げかけたのだろうか。彼の経験談が「馬の耳に念仏」にはならないでほしい。どの政治家が選挙で敗北したいだろうか。ところが、当面の不利を分かっていながらもこれに押し切ったシュレーダーのように、長い間歴史に残る、そのような政治指導者が我々もほしい。
この記事を読んで…