北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長が執権後5年間、幹部の4分の1を入れ替えたことが分かった。韓国統一部が北朝鮮のパワーエリート300人の個人情報と経歴を記載して24日に出した『2017北朝鮮主要人事人物情報』(人名録)を分析した結果だ。統一部は北朝鮮の公式発表と官営メディアに公開された人物に基づき、労働党副部長級・内閣の相・軍部の上将(星3つ)以上の約300人の人物資料を毎年公開している。
中央日報が金正恩委員長の執権1年目(2012年)と今年の人名録を比較した結果、2012年当時の328人のうち101人(31.2%)が抜け、今年300人のうち78人(26%)が新しい名前だった。張成沢(チャン・ソンテク)党行政部長、姜錫柱(カン・ソクジュ)国際担当書記、金格植(キム・ギョクシク)人民武力部長などが消えた代表的な人物だ。しかし残りの83人の所在は把握されていない。約80人が解任または退任となり、新しい人物に交代したということだ。統一部の当局者は「金正恩が5年間に父の時代の人物を退かせ、頻繁なエリート交代を通じて自分と一緒にする人たちを探しながら、収拾期間を経た結果」とし「公開されなかった交代人物を考慮すれば、その幅はさらに大きくなるだろう」と話した。
一方、金元弘(キム・ウォンホン)国家保衛相(旧国家安全保衛部長、韓国の国家情報院長に相当)と馬園春(マ・ウォンチュン)国務委員会設計局長、趙甬元(チョ・ヨンウォン)組織指導部副部長は新しく登場した人物だ。金元弘国家保衛相は北朝鮮体制の根幹となる情報統制と反体制容疑者の探索および処罰を担当している。2012年4月から金正恩委員長の至近距離で常に面談をしているという。特に強硬派の牽制を受けた金養建(キム・ヤンゴン)元統一戦線部長の交通事故など釈然としない事故の背後に金元弘国家保衛相がいるという見方もある。馬園春局長は金正恩委員長の平壌(ピョンヤン)現代化構想を執行する人物だ。趙甬元副部長は、韓国に亡命した元駐英北朝鮮公使の太永浩(テ・ヨンホ)氏が金正恩委員長の「秘線」と話すほど北朝鮮内の地位が最近上がった。このほか、金正恩委員長の妹の金与正(キム・ヨジョン)宣伝扇動部副部長と夫人の李雪主(リ・ソルジュ)氏も今回新しく名前が入った。
専門家らはその間、金正恩委員長が執権した後、党の機能の正常化を図ってきたと評価してきた。このような評価は今回の分析で、官僚の数が減り党幹部が増えるという結果で確認された。実際、2012年に172人だった内閣と国家機関の人物は今年138人に減ったが、党幹部は86人から103人に増えた。党を中心に国を運営する「党国家体制」の構築を図ったのだ。高有煥(コ・ユファン)東国大教授は「金正日は数人の参謀と協議をして国を統治する直轄体制方式だったなら、金正恩は党の機能を正常化させて党国家体制を作った」と分析した。
エリートの平均年齢は5年前に比べ1.2歳高い69.8歳だった。しかし統一部の当局者は「北のエリートは死ぬ時まで現職を維持する特性を考慮すれば、5年前に比べ1.2歳高くなったのは、むしろ人物の交代で3.8歳若返ったということ」と話した。
年齢帯別には70代が83人で最も多く、80-90歳の人物も38人にもなった。楊亨燮(ヤン・ヒョンソプ)政治局委員(92)、金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長(89)、形式的国家首班)、金己男(キム・ギナム)宣伝扇動部長(88)は高齢だが、依然として活発に活動し、平均年齢を高めた。金日成(キム・イルソン)主席の弟の金英柱(キム・ヨンジュ)最高人民会議常任委名誉副委員長(97)はエリートに分類されたが、活動はほとんどない。
イ・ギドン国家安保戦略研究院北朝鮮体制室長は「金日成時代の象徴的な人物は風除けとしてそのまま置き、本人と実際に呼吸を合わせる人物は大幅に入れ替えたとみられる」と分析した。
金正恩委員長が平壌出身者を好むことが明らかになったのも今回の分析の特徴だ。平壌出身者は2012年の12人から32人に増えた。イ室長は「政権樹立初期には地方出身者が多かったが、70年代以降は平壌で教育を受けた人物が高位職に進出したケースが多いため」と説明した。
中央日報が金正恩委員長の執権1年目(2012年)と今年の人名録を比較した結果、2012年当時の328人のうち101人(31.2%)が抜け、今年300人のうち78人(26%)が新しい名前だった。張成沢(チャン・ソンテク)党行政部長、姜錫柱(カン・ソクジュ)国際担当書記、金格植(キム・ギョクシク)人民武力部長などが消えた代表的な人物だ。しかし残りの83人の所在は把握されていない。約80人が解任または退任となり、新しい人物に交代したということだ。統一部の当局者は「金正恩が5年間に父の時代の人物を退かせ、頻繁なエリート交代を通じて自分と一緒にする人たちを探しながら、収拾期間を経た結果」とし「公開されなかった交代人物を考慮すれば、その幅はさらに大きくなるだろう」と話した。
一方、金元弘(キム・ウォンホン)国家保衛相(旧国家安全保衛部長、韓国の国家情報院長に相当)と馬園春(マ・ウォンチュン)国務委員会設計局長、趙甬元(チョ・ヨンウォン)組織指導部副部長は新しく登場した人物だ。金元弘国家保衛相は北朝鮮体制の根幹となる情報統制と反体制容疑者の探索および処罰を担当している。2012年4月から金正恩委員長の至近距離で常に面談をしているという。特に強硬派の牽制を受けた金養建(キム・ヤンゴン)元統一戦線部長の交通事故など釈然としない事故の背後に金元弘国家保衛相がいるという見方もある。馬園春局長は金正恩委員長の平壌(ピョンヤン)現代化構想を執行する人物だ。趙甬元副部長は、韓国に亡命した元駐英北朝鮮公使の太永浩(テ・ヨンホ)氏が金正恩委員長の「秘線」と話すほど北朝鮮内の地位が最近上がった。このほか、金正恩委員長の妹の金与正(キム・ヨジョン)宣伝扇動部副部長と夫人の李雪主(リ・ソルジュ)氏も今回新しく名前が入った。
専門家らはその間、金正恩委員長が執権した後、党の機能の正常化を図ってきたと評価してきた。このような評価は今回の分析で、官僚の数が減り党幹部が増えるという結果で確認された。実際、2012年に172人だった内閣と国家機関の人物は今年138人に減ったが、党幹部は86人から103人に増えた。党を中心に国を運営する「党国家体制」の構築を図ったのだ。高有煥(コ・ユファン)東国大教授は「金正日は数人の参謀と協議をして国を統治する直轄体制方式だったなら、金正恩は党の機能を正常化させて党国家体制を作った」と分析した。
エリートの平均年齢は5年前に比べ1.2歳高い69.8歳だった。しかし統一部の当局者は「北のエリートは死ぬ時まで現職を維持する特性を考慮すれば、5年前に比べ1.2歳高くなったのは、むしろ人物の交代で3.8歳若返ったということ」と話した。
年齢帯別には70代が83人で最も多く、80-90歳の人物も38人にもなった。楊亨燮(ヤン・ヒョンソプ)政治局委員(92)、金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長(89)、形式的国家首班)、金己男(キム・ギナム)宣伝扇動部長(88)は高齢だが、依然として活発に活動し、平均年齢を高めた。金日成(キム・イルソン)主席の弟の金英柱(キム・ヨンジュ)最高人民会議常任委名誉副委員長(97)はエリートに分類されたが、活動はほとんどない。
イ・ギドン国家安保戦略研究院北朝鮮体制室長は「金日成時代の象徴的な人物は風除けとしてそのまま置き、本人と実際に呼吸を合わせる人物は大幅に入れ替えたとみられる」と分析した。
金正恩委員長が平壌出身者を好むことが明らかになったのも今回の分析の特徴だ。平壌出身者は2012年の12人から32人に増えた。イ室長は「政権樹立初期には地方出身者が多かったが、70年代以降は平壌で教育を受けた人物が高位職に進出したケースが多いため」と説明した。
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