全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領(左)が1984年、日本を国賓訪問し、裕仁天皇と乾杯している。(中央フォト)
外務部は全大統領の指示から2カ月後の11月に計画案を作った。少なくとも4、5年間、平和共存体制を確保するのが目的だった。86年のアジア競技大会の前後にクロス接触を本格化し、88年ソウルオリンピック(五輪)前後にクロス承認を達成するという目標も設定した。同年12月1日、政府は中曽根康弘首相にこの提案を伝え、中国指導部と接触することを要請した。同時に米国にも協調を求め、中国と間接接触しようという戦略を併行した。
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