「恋愛は個人の自由であり権利だ。社会が入り込むことではない。いっそのこと自然に尋ねてみよう。自然はその美を求めていく人を抱き込むように恋愛する人を抱き込むだろう。これが近代を生きていく彼の哲学だったため、彼は民主主義のために戦ったように、恋愛のためにも彼の存在をかけて戦った」。
土曜日の朝から何を変なことを言い出すのかと思うかもしれない。実際、クイズを出そうと例文を作ってみたのだが、下手な作文なのでよく通じるかどうか分からない。クイズは「例文に出てきた漢字語の名詞の共通点は何か」というものだ。すべて19世紀末以降、日本語から来た言葉というのがその答えだ。そう言ってみると、この例文はあまりにもよく通じればむしろ問題だという気がする。
クイズの答えが事実であることを確認するには、最近出たイ・ハンソプ教授の『日本語から来た韓国語辞典』を見ればよい。著者の数十年間の熱望と努力の産物であるこの辞典は、1880年代以降に日本語から韓国語に入ってきた語彙3600余語が紹介されているが、少し見るだけでも誰もが驚くはずで、言語純潔主義者なら失語症にかかるかもしれない。我々が自分たちの言葉のように使っている数多くの漢字語が日本語から来たものであるからだ。言い換えれば、この文章も例文だけでなく、その後に書いた部分、そして今から続く部分も日本語から来た言葉の支配を避けることはできないということだ。さらに重要なのは、こうした語彙が近代文物とともに入り、我々の生活で核心的な位置を掌握しているという点だ。我々はその語彙で教育を受けたため、その語彙の磁場から抜け出すのは非常に難しい。
こうした語彙が今では韓国語に溶け込んでいるため、著者も外来語の一部と見なしてよいのではと話す。この言葉は慎重な現実論のように聞こえるが、別の見方をすれば非常に大きな要求をするものとして受け止めることもできる。この語彙は西洋出身の外来語とは違い、漢字という殻に覆われているため、特別な努力なしには外来語と認識するのが容易でないからだ(それでこの辞典の役割がなおさら重要に見える)。逆にこうした語彙が外来語であることを認識するというのは、その言葉が我々の現実や歴史とどこかずれがあるという点をいつも意識するという意味だが、これはいくらでも肯定的な契機として活用することもできる。また、こうしたずれを意識することが、外来語や訳語、さらには翻訳全体の役割なのかもしれない。
実際、上のクイズの答えはまだ半分しか出ていないが、残り半分は例文に出てきた漢字語の名詞が日本語でも実際に外来語と変わらないということだ。日本で漢字を利用して西洋語彙を翻訳した言葉だったということだ。例えば「社会」は英語でいうsocietyを翻訳した言葉で、日本では1870年代後半に定着し、韓国ではわずか20年後の1890年代から使われた。日本と韓国の差といえば、日本は自国の現実にないsocietyという言葉を表現するために人間交際などさまざまな言葉を100年間ほど実験してみて社会という訳語を得たのに対し、韓国はそのような苦闘の過程なく日本からその言葉を直輸入したということだ。しかし言葉であっても無料であるわけではなく、漢字という共通道具の便利さはむしろ毒となることもあるだろう。自分の空いているところに対する自意識なく持ってきておいて、実際に消化できない言葉に悩まされ見当違いする経験が実際どれほど多かったのだろうか。
柳父章の『翻訳語成立事情』は日本で重要な西洋書を翻訳した過程を記録した本だ(例文はこの本で扱った言葉を利用)。この本を通じて、ある人たちが胸に刻んで死んだりもした言葉が実は日本の翻訳語を輸入したものだという事実を初めて知った時に受けた衝撃が今でも忘れられない。この本の左側に西洋語彙の歴史を扱ったレイモンド・ウィリアムスの『キーワード』を置き、右側に『日本語から来た韓国語辞典』を置けば、何か流れがつかめる感じもする。たとえば70年代のある日、丸坊主に黒い制服を着た学生が市内の真ん中で大きく掲げた「韓国的民主主義の土着化」というスローガンを見て感じた空虚と不調和も、その流れの中で少しは解明されるのではないだろうか。
チョン・ヨンモク翻訳家/梨花女子大通訳翻訳大学院教授
土曜日の朝から何を変なことを言い出すのかと思うかもしれない。実際、クイズを出そうと例文を作ってみたのだが、下手な作文なのでよく通じるかどうか分からない。クイズは「例文に出てきた漢字語の名詞の共通点は何か」というものだ。すべて19世紀末以降、日本語から来た言葉というのがその答えだ。そう言ってみると、この例文はあまりにもよく通じればむしろ問題だという気がする。
クイズの答えが事実であることを確認するには、最近出たイ・ハンソプ教授の『日本語から来た韓国語辞典』を見ればよい。著者の数十年間の熱望と努力の産物であるこの辞典は、1880年代以降に日本語から韓国語に入ってきた語彙3600余語が紹介されているが、少し見るだけでも誰もが驚くはずで、言語純潔主義者なら失語症にかかるかもしれない。我々が自分たちの言葉のように使っている数多くの漢字語が日本語から来たものであるからだ。言い換えれば、この文章も例文だけでなく、その後に書いた部分、そして今から続く部分も日本語から来た言葉の支配を避けることはできないということだ。さらに重要なのは、こうした語彙が近代文物とともに入り、我々の生活で核心的な位置を掌握しているという点だ。我々はその語彙で教育を受けたため、その語彙の磁場から抜け出すのは非常に難しい。
こうした語彙が今では韓国語に溶け込んでいるため、著者も外来語の一部と見なしてよいのではと話す。この言葉は慎重な現実論のように聞こえるが、別の見方をすれば非常に大きな要求をするものとして受け止めることもできる。この語彙は西洋出身の外来語とは違い、漢字という殻に覆われているため、特別な努力なしには外来語と認識するのが容易でないからだ(それでこの辞典の役割がなおさら重要に見える)。逆にこうした語彙が外来語であることを認識するというのは、その言葉が我々の現実や歴史とどこかずれがあるという点をいつも意識するという意味だが、これはいくらでも肯定的な契機として活用することもできる。また、こうしたずれを意識することが、外来語や訳語、さらには翻訳全体の役割なのかもしれない。
実際、上のクイズの答えはまだ半分しか出ていないが、残り半分は例文に出てきた漢字語の名詞が日本語でも実際に外来語と変わらないということだ。日本で漢字を利用して西洋語彙を翻訳した言葉だったということだ。例えば「社会」は英語でいうsocietyを翻訳した言葉で、日本では1870年代後半に定着し、韓国ではわずか20年後の1890年代から使われた。日本と韓国の差といえば、日本は自国の現実にないsocietyという言葉を表現するために人間交際などさまざまな言葉を100年間ほど実験してみて社会という訳語を得たのに対し、韓国はそのような苦闘の過程なく日本からその言葉を直輸入したということだ。しかし言葉であっても無料であるわけではなく、漢字という共通道具の便利さはむしろ毒となることもあるだろう。自分の空いているところに対する自意識なく持ってきておいて、実際に消化できない言葉に悩まされ見当違いする経験が実際どれほど多かったのだろうか。
柳父章の『翻訳語成立事情』は日本で重要な西洋書を翻訳した過程を記録した本だ(例文はこの本で扱った言葉を利用)。この本を通じて、ある人たちが胸に刻んで死んだりもした言葉が実は日本の翻訳語を輸入したものだという事実を初めて知った時に受けた衝撃が今でも忘れられない。この本の左側に西洋語彙の歴史を扱ったレイモンド・ウィリアムスの『キーワード』を置き、右側に『日本語から来た韓国語辞典』を置けば、何か流れがつかめる感じもする。たとえば70年代のある日、丸坊主に黒い制服を着た学生が市内の真ん中で大きく掲げた「韓国的民主主義の土着化」というスローガンを見て感じた空虚と不調和も、その流れの中で少しは解明されるのではないだろうか。
チョン・ヨンモク翻訳家/梨花女子大通訳翻訳大学院教授
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