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日本語できず野次を受けた“バイト”歌手、日本舞台でシンデレラに(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版

日本での成功談を話すキム・ジヒョン。

生きていれば分かる。「受け入れる力」が乗り越える力よりはるかに重要だということを。人生はそれこそランダム(randaom)だから。今すぐどんなことが自分に起こるかは誰も分からない。一日で職場を失うこともあり、不意の事故にあったり貧困の沼に落ちることもある。いつどこから吹くか分からない苦難の風を受ける私たちの姿勢はそれぞれ違う。両手で風を防ごうとする人もいて、台風に向けて拳を向ける人もいる。ある人は必死に隠れ場所を探したりもする。しかしある人は静かに風が吹いてくる方向を読み取って体を任せる。自分に向かってくる逆風を後ろから押す順風に変えてしまうのだ。

日本で活動しているミュージカル女優キム・ジヒョン(41)。彼女は風に乗るのが得意な人だ。人生の節目ごとに特に選択というものをしたことがない。運命の激しい風が吹くたびに、抵抗するのではなく、全身で抱え込んで読み取れるまで持ちこたえた。

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4人姉妹の2番目だったキム・ジヒョンの家は裕福だった。父はある日刊紙のロサンゼルス特派員で、ソウル狎鴎亭洞で美容室を経営していた母は美容協会副会長を務めるほど財力家だった。幼い頃から芸術を愛した親のおかげで、バレエ・ピアノ・伽耶琴・チャング(太鼓)・舞踊などを習うのに忙しかった。特に音楽を愛した父は5歳になった娘に毎日のように映画『サウンド・オブ・ミュージック』を見せた。幼いキム・ジヒョンは称賛されるうれしさのため、音楽にセリフを付けて話したりした。10余年後、彼女はソウル芸大演劇科に入学し、ミュージカル女優になった。『明成皇后』のオーディションにも合格し、今まさに新人俳優として注目され始めた頃だった。運命の風が激しく吹き始めたのは。

父が市会議員選挙に出馬し、莫大な借金をして落選した。選挙に必要な資金の責任を負った母は日本に身を避けるしかなかった。日本語が話せずビザもない母を一人にしておけなかったキム・ジヒョンは、自分の夢をあきらめて日本に渡った。彼女も日本語が話せないのは同じだった。突然家長となった彼女は、結局、母の知人が経営するクラブで歌を歌うアルバイトを始めた。

「私はそれまでお酒を飲む人を一番嫌っていたが、突然クラブで歌を歌うことになった。日本語ができないのでポップソングばかり歌っていたが、日本の客がホテルに行って歌えと野次ったりもした。それで、それまで歌ったこともない歌謡を必死に練習することになった。もしそこで歌っていなければ、おそらく私の音楽ジャンルのスケールは非常に小さくなっていたはずだ」。

その頃、偶然、日本の劇団四季のオーディションを受けることになった。他の参加者の歌はすぐに止められたが、唯一キム・ジヒョンだけが3曲も歌うことができた。結局、1800倍の競争を勝ち抜き、韓国人初の正式団員となった。後に聞いた合格の理由は彼女の独特な声のためだった。声楽専攻出身者の志願者が多い中、ハスキーな肉声で歌う彼女は新鮮な衝撃そのものだった。

ミュージカル女優という本業に戻ったが喜びもつかの間、キム・ジヒョンは試練を迎えた。今年で創立62年を迎えた劇団四季は所属俳優だけで700人に達し、10以上のミュージカルを専用劇場でするアジア最大の劇団だ。彼女が入団して最初に引き受けた役割は『キャッツ』の女主人公グリザベラ。慣れない日本語を完ぺきに駆使することだけでも非常に大きなストレスだった。さらに文化の違いも彼女を疲れさせた。

「グリザベラ役は一人で部屋にいる時間が多かったが、そういうときは他の俳優の必要な部分を準備するのが当然の文化だった。しかし私は何も知らなかったのでじっとしていたところ、態度に問題があるとして後に会議にまでかけられた。その時は誰も教えてくれる人がいなかった」。 (中央SUNDAY第399号)



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