清国軍艦の済遠艦に装備されて日本に奪われたドイツ製クルップ大砲2台が北洋艦隊司令部の場に展示されている。中国は旅順近海に約80年間沈んでいた済遠艦を1988年に引き揚げた。
六十干支(60年)が2回り過ぎた今、劉公島に建てた甲午戦争博物館では、普段よりも多くの観客が訪れて当時の痛みを反すうしていた。甲午戦争は日清戦争の中国式の名称だ。「年間100万人以上訪れるが、今年は例年よりも観覧客がはるかに多い」と王計華・副館長は説明した。
清の主力海軍北洋艦隊司令部の場に展示された口径210ミリの大砲(有効射程距離5キロ)2台が目を引いた。北洋艦隊はドイツの軍需企業が作った、当時としては最新鋭の武器であるこの大砲を巡洋艦である済遠艦に装備した。この大砲をまともに撃つこともないまま黄海海戦で敗退した済遠艦は、日本軍によって日清戦争の戦利品にされ、10年後には日本海軍の一員として日露戦争に参戦し、旅順近海で沈没した。中国政府は莫大な予算を投じた末に約80年間沈んでいたこの大砲を1988年に何とか引き揚げて本来の場所ある劉公島博物館に移した。王副館長は「私たちの博物館で最も意味のある遺物」としながら「この数奇な運命の大砲の中に、中国の屈曲した歴史がそのまま投影されている」と話した。
恥ずかしい歴史もありのままに後世に伝えて鏡とするための博物館の設立趣旨は、下関(馬関)条約の署名シーンのろう人形による再現でも感じられた。敗戦国清の代わりに李鴻章は日本の伊藤博文首相の故郷である下関まで渡り、遼東半島と台湾を日本に捧げる屈辱的な文書に署名しなければならなかった。ろう人形の中で勝者と敗者の表情は対照的だった。
「腐敗のせいで戦争に負けた」…日本に奪われた大砲展示した中国(2)
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