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【コラム】「朴槿恵アウト」なら解決されるのか(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
目にしみる。氷のように透明な空から、夏のような日差しが突き刺さってくる。その日差しがあまりに冷たくて涙がたまる。何度も目をしばたき、手でこすった。冷たい海の中では、こんな日差しがどれほど懐かしいだろうか。昼休みに約束がない日には、ついソウル市庁広場に向かってしまう。列をつくって待っていた弔問客が何日か前からまばらになった。黄色いリボンだけがざわめいて、風に揺れる。芝の上にはそれぞれの願いを込めた黄色い紙の船が日差しに輝いている。

「ご冥福を祈ります」「そちらでは無事であることを祈ります」「守れなくて、ごめんね」「生きていると思っていたのに…」「許すな」「忘れません」…あの数多くの叫びは、今はもう変わっただろうか。でなければ減少した弔問客のように、またそうやって私たちの記憶から消えて行くのだろうか。

政府は国家を改造するという。数えきれないほど繰り返されてきた大型惨事。そして反省と謝罪、注ぎ込んだ対策…。それで変わったものがあっただろうか。1953年1月9日。麗水(ヨス)から釜山(プサン)に向かっていた定期旅客船のチャンギョン号が多大浦(タデポ)近海で座礁した。その時も原因は貨物の過積載だった。救命ボートと救命胴衣は最初から船に載せてもいなかった。会社の倉庫から発見された。乗客236人のうち生き残ったのはわずか7人。


その中には船長と船員4人が入っていた。

その時は戦争の渦中にいたからそんなものだったとしよう。60年が流れた今、1つも変わっていなかった。過積載と定員超過、使い道のない救命装備、無責任に逃げた船長と船員…。63年1月には木浦(モクポ)近海で過積載に定員超過だった旅客船ヨン号が沈没して生存者1人を除く140人が皆死亡した。ほとんどの遺体も引き揚げられなかった。70年12月には積載量の4倍も載せた定期旅客船ナミョン号が西帰浦(ソギポ)から釜山に向かう途中に沈没して338人中326人が亡くなった。93年10月には西海(ソヘ)フェリー号沈没で292人が死亡した。その時ごとにあらわれた事故原因は、いつも同じだった。賠償と懲戒、処罰が後に続いた。

だから、国家改造を話したところでどうやって信じられるだろうか。一部の在米同胞がニューヨークタイムズに全面広告を出し、一部の教師たちは朴槿恵(パク・クネ)大統領の退陣を要求した。惨事の大きさ、悲しみの深さを考えればそうやって怒りが収まるのだろうか。大統領が辞任して、このような惨事が中断さえされるのであれば、さぞや良いことだろうか。

もちろん今回の惨事の大きな責任は大統領にある。これまでの政権から続いてきた積弊のためであろうとなかろうと関係ない。事故後に右往左往していた政府の様子だけでも、信じられない政府だという烙印だけでも、百回謝罪しなければならない。首相と長官を更迭するからといって大統領の責任が軽くなるものでもない。胸が裂ける思いをしている遺族たちを、もう少し気持ちで抱擁することができなかったのか、この場でも感情を抑えて品格を守らなければならなかったのか、残念な点は1つや2つではない。

それでも大統領が変わったからといって解決されることではない。怒りと報復だけで未来を保障することはできない。誰かに責任を負わせるといって、私たち皆が耐えなければならないこの恥辱と責任を免れることはできない。



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