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【コラム】「ノー」と言える韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

イラスト=カン・イルグ

「ロシアが報復するだろう」とのうわさが広がり、日本が大騷ぎになった。天皇が東京から急いでニコライの元に駆けつけ、全学校に休校令が下された。多くの日本人が神社に集まって全快を祈り、1万通の見舞いの手紙が殺到した。犯人の故郷の金山(山形県最上郡)では「津田」姓や「三蔵」という名前を使えなくする条例が決議された。さらに1人の20代の離婚女性が「死で謝罪する」として自殺する。このような過激さのおかげか、ロシアは不問に付した。


しかし、皇太子は死ぬ時まで日本人を「猿」と蔑視した。日露戦争の時、日本を叩き潰そうとしたニコライ2世こそが彼であった。両国間の悪縁は1904年日露戦争でさらに悪くなる。日本は勝ったが、ロシアの3倍もの11万人余りが戦死した。日本の反露感情は第2次世界大戦で極限に達する。ソ連が終戦6日前に不可侵条約を破って日本占領下の満州を攻撃したのだ。領土紛争中である千島列島4島もこの時に奪われた。自然と日中関係が極度に悪化した2~3年前まで日本人が最も嫌いな国はいつもロシアであった。




【コラム】「ノー」と言える韓国(2)

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