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【噴水台】無能な善意の政府は願い下げだ

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
解消されないわだかまりがある。今回のセウォル号沈没事故で、船長が先に逃げ、政府はうろたえ、メディアは「オーバー」だという、数多くの問題にもかかわらず、最も強く残っている疑問はこれだ。海洋警察救助隊は、どうして船内に入って中の遭難者を引き上げて救助しなかったのかということだ。

傾いた船で、その高くなった入口に向かって素手で飛び上がることはできない。私たちはテレビ放送などを通じて「あの中に人々がたくさんいる」という声を聞いた。だから救助隊が聞こえなかったはずがない。ところが救助隊は沈没まで1時間余りの間、自力で上がってくる人々だけに、熱心に救助の手を差し出した。

中継放送を見ていたから彼らがどれほど忙しかったのかは分かる。私たちは、善意については結果が誤っていても非難したり責任を追及したりしない伝統がある。「海洋警察が80人を救ったのなら、たくさん救ったのではないか」という海洋警察幹部の言葉も、善意を実践したのだから良いのではないかという弁解に聞こえた。


ところで海洋警察救助隊は、善意の奉仕団体ではなく国民が命を預けた救助専門の公務員だ。今回の救助現場を見ると、救助専門家である彼らが現場の救助訓練さえやっていなかったり、装備さえ備えていなかったり、責任を回避したという疑いをかもし出している。人の命を扱う救助では、無能も回避も容認されてはいけない。救助現場に必要なことは、状況を掌握する有能さであり、善意や無益な勤勉さではない。救助は過程ではなく結果で話さなければならない。今回の現場では、過程は下手だったし結果はみじめなものだった。

今回の事故を通じて私たちは、責任ある者の「善意だけの無能」がどれほど大きな害悪なのかを知った。国民の間で、政府に対する信頼が初めて一発で崩れたのは、安全行政部次官が事故後初めての会見で、初々しい顔つきでたどたどしく「確認してみます」ばかりを連発した瞬間だった。また教育部長官が犠牲者の生徒の葬儀室を訪れたのも、長官をきちんと迎えようとする随行員があらかじめ遺族のところへ走って行って「長官様が来られました」といったのも全て善意だったと考えている。しかしこれが悲嘆にくれた遺族たちをどれほど刺激する行為なのかには無知だった。「することがないながらも恩着せがましくする官僚」の見本として再び政府不信に油を注いだのは、善意はあったが民心に無知だったからだ。

自分の職分に対する無知と無能は、いかなる場合でも罪だ。国民に必要なことは、優しい政府、優しい救助隊ではなく有能な政府、有能な救助隊だ。私の命を安心して預けることができるように。

ヤン・ソンヒ論説委員



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