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【時視各角】悲しみよりも憤怒の調節ができない理由=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
悲しい目をとても正視できなかった。

1994年の聖水(ソンス)大橋崩壊事故現場だった。「生まれてからただの1度も不孝をしなかったのに、死んで帰ってくる不孝とはなんということか」と絶叫する母親。そばでは「ハンサムだった兄さんが…顔がなくなりました」と半分ほど正気を失った妹に会った。

どんな話なのか尋ねなければならなかった。ひとつひとつ取材手帳を取り出した。「こんなことを私がなぜしているのか」。記者になったことをその時初めて後悔した。それでも尋ねて書いた。いまどんなことが起きているのかしっかりと記録しておかなければならないと自分を合理化した。


震える気持ちで20年前の取材手帳を開いてみた。聖水大橋崩壊当時、舞鶴(ムハク)女子高校の生徒8人が漢江(ハンガン)に落ちた。

帰ってこない友達の遺影の前に捧げられた女子高1年生の手紙を再び読んだ。

「これ以上なく腐り切ってしまった汚い社会。社会に背信を感じました。神様が憎いです」(ウンジン)

「あだ名は『トジャ』でした。家事を引き受けて教室でよく寝ていました。お母さん、お父さん、頑張ってください。空の上でトジャが涙を流さないように…机で横にならず、もうゆっくり眠りなさい」(ヘミ)

共稼ぎの両親が店から帰ってくるまで待ち、必ずごはんの用意をして夜遅くに床に就いたトジャだった。そんなトジャ1人暖かく抱いてあげることができなかった大韓民国。20年前の少女の目にもまともなところひとつない満身瘡痍に見えた。

1年後の95年には三豊(サンプン)百貨店が崩壊した。

今度は盤浦(パンポ)高校に空いた席ができた。事故現場で娘を探し回ったある父親にごま粒のような字が書かれた手帳を渡された。

「キリストの真の愛を君に、ナルシスの美しさを君に、アインシュタインの知恵を君に、シューベルトの甘美さを君に、ナポレオンの力を君に」。

ただ真の愛をしたく、美しく、甘美に生きたかっただけだった少女の小さな夢までコンクリートの山がまた奪い去った。



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