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【噴水台】韓国と日本から聞こえた「天使の声」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
彼女自身も耐え難いほど怖かっただろう。22歳、大学を休学して乗客案内を担当する乗務員として船に乗ってからまだ1年半だった。だが予想できない事故でも毅然としていた。あわてる生徒たちに3~4階を行き来してライフジャケットを配り、「お姉さんは?」という生徒たちのあせった呼びかけには、こう答えた。「船員は最後。君たちを救ってから、私は後から出て行くから」。セウォル号沈没事故で最後まで乗客を助けて命を落とした乗務員パク・ジヨンさん(22)のことだ。

もう1人の人物が重なる。3年前の3・11東日本大震災当時、日本の宮城県の漁村、南三陸町の役場職員だった遠藤未希さんだ。当時の年齢は24歳。結婚8カ月の新妻だった。マグニチュード9.0の大地震が東北地方を襲った午後2時46分、危機を感知した彼女は2階の放送室に飛び込んでマイクを握った。「高さ6メートルの大きな津波(地震津波)が来ています。直ちに高い場所へ避難してください。海岸付近には絶対に近付かないでください」。津波が陸地まで飲み込むのにかかった時間は30分余り、彼女の声はずっと町全体に鳴り響いていた。その差し迫っていた叫びを聞いた7000人余りの町の人たちが、高い場所へ避難して助かった。結局、建物を襲った津波に飲み込まれた彼女は、地震発生後1カ月以上経ってから、冷たい遺体で故郷の海辺に戻ってきた。

先週のセウォル号事故発生以後、2人のことが脳裏から離れない。2人ともベテランというにはまだまだ若い年齢だった。自身が日常的に遂行していた業務が、これほど危険千万になるということを彼女たちは知っていただろうか。夢にも思わないような危機が目前に近づいた瞬間、自分ができること・すべきことだけを考えて頑なにその場を守らせた、その力はどこから出てきたのだろうか。私なら、私だったら、そんなことができただろうかと思うからだ。


崇高な彼女たちの死は、人々の心を動かした。日本人たちは大震災後3年が流れた今でも、「天使の声」という名前で遠藤未希さんを忘れていない。彼女がマイクを握りしめて命を失った現場には追悼の足が途絶えず、小中高校の道徳の教科書には死によって義務を果たした彼女の話が載っている。私たちも、セウォル号を最後まで守ったこの若い乗務員の名前を、長く忘れないでいたい。日常のために簡単に忘れてしまうような、私がしているこの仕事の重く厳重な責任を再確認させてくれる、この「天使」のことを。

イ・ヨンヒ文化スポーツ部門記者



【特集】韓国旅客船「セウォル」沈没事故

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