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【コラム】歴史の包装…日本はいつまで言い張るのか

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
自分の国と軍隊を「偉大な祖国(La Grande Nation)」「偉大な軍隊(La Grande Armee)」と呼んだナポレオンの“偉大な”歴史を持つフランスにとって、1940年6月から44年8月までのナチス支配の時期は、本当に耐えがたい、記憶したくない恥辱であろう。

ナチス占領下のフランスは、ナチスが直接統治する地域とフィリップ・ペタン元帥を首班とするナチス傀儡ヴィシー(Vichy)政権地域に分割されたが、ヴィシー政権はすぐに形だけがが残ってフランス全体がナチスの統治を受けた。しかし降参直後、フランス議会は賛成569、反対80、棄権17票という圧倒的な支持でペタンを国家首班と認定し、彼のヴィシー傀儡政権はフランスが解放されるまで唯一の合法政府であった。44年8月26日、ド・ゴールが連合軍と共に市民100万人の歓迎の中でパリに入城したが、わずか4カ月前の4月26日にパリを訪問したペタンは数十万人の熱烈な歓迎を受けていた。

このような占領時代の歴史は戦後20年間、徹底して口が閉ざされていた。代わりにド・ゴールの英雄的なリーダーシップとレジスタンスの勇敢な抵抗闘争がフランスの解放を可能にしたと記述する。しかし欧州解放の最初のボタンだったノルマンディ上陸作戦に、フランス軍はただの1人も参戦できなかったし、ド・ゴールは連合軍の無視と疎外にあっていた。これにもかかわらずフランスの歴史は第2次世界大戦の間に偉大なフランス国民の英雄的な闘争を記録するだけで、敗北とナチスへの加担、ユダヤ人迫害の傍観などは縮小し、生存のための選択だったと合理化する。


歴史はファクトを教えなければならない。だが国家の自尊心のために、国家的士気のために、ある部分は強調してある部分は適当にごまかすといった歴史包装をするはずだ。この点ではフランスも日本も全く違うところがない。問題はその歴史の包装が被害者のことなのか加害者のことなのかによって性格が大きく変わるという点だ。被害者の記述は内部問題で終わるが、加害者の歴史は包装によって当事者皆の問題に飛び火するためだ。

たとえば町内で、ある子供がケンカを挑んでほかの子供がたくさん殴られたとしよう。殴られた子供が傷を隠して「それでも自分は勇敢にケンカした」と話せば、痛ましいけれどそれはその子供1人の問題で終わる。だが殴った子供が最後まで殴ったことも間違ったこともないと言い張れば、結局町内のケンカに広まるしかない。ケンカの経験が多いドイツがひざまずいて再びケンカしないと言っているのに、日本は最後まで間違っていなかったと言い張っている。加害者の歴史記述のやり方を無視すれば、残っているのは町内のケンカだけだ。

イ・ウォンボク徳成(トクソン)女子大学客員教授



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