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火葬場から戦犯の遺骨持ち出し12年隠して廟を造成(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

愛知県三ヶ根山の頂上にある「殉国七士廟」の入口に高さ5メートルの碑石が立っている。一般人の遺体を埋葬する所を意味する「墓」の字ではなく、帝王の先祖や立派な人物を祀る霊廟を示す「廟」の字を使ったのが目を引く。

日本で太平洋戦争の戦犯を称える所といえばよく靖国神社が思い出されるが、実際には右翼勢力の本営は別の所にあった。愛知県西尾市の三ヶ根山の頂上。本州の真ん中に位置したところだ。

◇警備員3人が取材陣を監視

碑の揮毫を1960年のこの墓地建設当時の首相だった岸信介が書いたと碑の裏面に刻まれている。


13日午後、中央日報とJTBCの取材陣が韓国メディアで初めてここに潜入し取材を始めると、すぐにこの地域のナンバーをつけた車両1台が現れ雰囲気を確認すると姿を隠した。5分後に7人の戦犯の遺骨が埋められた「殉国七士廟」前で取材をすると、今度は先ほどの車両とともにパトカーが警告灯をつけ近づいてきた。「怪しい侵入者」として通報されたのだ。腕に腕章をして近づいた3人の警備員は墓地関係者なのか右翼団体会員なのか見分けがつかなかった。彼らは10分余り、もしや墓地に何か異常でもないかと懸念したように取材陣をじろじろと見つめ監視の目を緩めなかった。靖国神社では感じられなかった緊張感がここにはあった。

日本の右翼が聖域とする「殉国七士廟」がどのように作られ、最悪の戦犯と呼ばれる7人の遺骨はどのような経緯でここに流れてくることになったのだろうか。

太平洋戦争終戦後に連合軍は東京国際軍事法廷で東条英機元首相ら25人をA級戦犯に指定した。このうち16人は終身刑、2人は有期懲役。そして死刑判決を受け絞首刑に処されたのがここに安置された7人だ。彼らは1948年12月23日に絞首刑に処された後すぐに火葬された。米国側は遺骨が遺族の手に渡らないよう格別に気を遣ったが火葬場職員を買収した戦犯弁護人の手により遺骨の一部が持ち出された。12年近く別の場所に隠され保存された遺骨は60年7月に三ヶ根山の登山道路工事に合わせ遺族らと右翼指向の財閥企業の資金支援で墓地が造成されたことでここに移葬された。

◇日本の中央に作られた「右翼本営」

墓碑近くの案内表示には、ここに埋められたA級戦犯7人の遺骨がどのような経緯でここに埋められることになったかを詳しく説明している。

風光明媚な三河湾を見渡せる絶景の場所だ。偶然にも本州の真ん中にあり、右翼勢力は「7人の英雄が日本の真ん中に位置することになった」という意味も付与したという。

墓地の名前を「殉国七士廟」とするには地域住民の一部から反対もあったが、右翼勢力はこれを押さえつけた。さらには当時首相だった岸信介から揮毫まで勝ち取った。そして続けて数十個の戦闘部隊の慰霊碑が立てられた。「殉国七士廟」を中心にひとつの“右翼の聖域”が造成されたわけだ。





火葬場から戦犯の遺骨持ち出し12年隠して廟を造成(2)

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