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【時視各角】A級戦犯を烈士として祀る国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
日本の愛知県には殉国七士廟というものがある。1948年の極東国際軍事裁判で絞首刑に処された東条英機らA級戦犯7人の墓だ。処刑された戦犯に殉国とは、彼らが何の烈士にでもなったのか。よじれた歴史意識を端的に見せる現場だ。

米軍政は刑執行直後に横浜の火葬場で遺体を焼却し、遺骨を飛行機に乗せ太平洋にばら撒いた。軍国主義の残党がA級戦犯の遺骨を神聖化するかも知れないという判断からだ。しかし弁護人らが火葬場職員と組んで焼け残った遺骨の一部を持ち出した。7人の遺骨から一握りずつを同じ壷に入れたためどれがだれのものか区別が難しく、その時からひとつの入れ物の中に入れられることになったという。その遺骨は温泉で有名な熱海の興亜観音という寺に隠されていたが58年に公開された。殉国七士廟は60年に彼らの遺骨を移して造成されたのだ。東条英機の墓は遺骨が収められていないが東京・雑司ヶ谷共同墓地にもある。死刑になったナチスの戦犯の墓は見られないドイツとは全く異なる風景だ。

ところで日本人たちに東条がいまどこにいるのかと尋ねれば十中八九が靖国神社と答えるだろう。彼をはじめとするA級戦犯が靖国神社に合祀されているためだ。だが247万人に達する戦没者を合祀した靖国神社にはだれの遺体も遺骨もない。死者の名簿があるだけだ。靖国神社はそこに名前を上げた人たちを神として祀る。このように靖国神社は墓地ではない。多くの日本人たちが靖国神社を国家的宗教施設兼追悼施設と考える。


同じ敗戦国であるドイツはどうなのか。彼らも軍人墓地とは別に戦没者追悼施設を置いている。ベルリンの「ノイエ・ヴァッヘ」(新衛兵所の意)がそれだ。分断時代に東ドイツの管轄だった時には「ファシズムと軍国主義の犠牲者」のための慰霊施設だった。統一後にドイツ政府は93年からここを「戦争と専制政治の犠牲者のための国立中央追悼施設」として使ってきた。追悼対象は幅広い。第1次大戦後に戦死したドイツ兵士、戦火の中で命を失った民間人、強制収容所で犠牲になったユダヤ人、ジプシー、ナチスと戦って死んだ他の国の人々…。

侵略戦争に動員されたドイツ兵士も全員追悼の対象に含まれたが周辺国は反発したりしない。彼らをナチスと分離し戦争と専制政治の犠牲者と規定したためだ。ナチスが起こした戦争は罪悪だったという自省、そして絶対繰り返してはならないというドイツ国民の誓いが背景にあるため可能なことだ。

日本はそのような面でかなり遅れている。侵略戦争を美化する彼らは依然として声を高めている。靖国参拝を批判すれば宗教の自由というとんでもない論理で正面から受け止める。どこでも国のために命を捧げた人たちを追悼するのは当然のことだ。だが、侵略国ならば被害国の心情を考え追悼行為の普遍性を認められなければならない。ドイツのようにだ。残念ながら靖国神社信仰が日本人の精神世界を支配する限り、戦犯の墓が堂々と構えられている限り、日本にドイツ式追悼を期待するのは難しく見える。10年余り前に始まった日本の国立追悼施設建設議論もまだ足踏み状態ではないのか。もちろん日本の戦没者遺族の被害意識をわからないものではない。結果論だが彼らも敗戦で辛酸を舐めた。ただ彼らを地獄へ追いやった怪物が内部で育った軍国主義だったとの自覚には至っていないようだ。

日本政府は95年に村山談話を通じ植民地支配に対して謝った。ひとまず謝ったらその精神を一貫性を持って維持しなければならない。謝罪と行動が別ならば真正性が疑われる。その点で日本の閣僚の靖国参拝は先の謝罪に対する否定と変わらない。それが本当に日本が願うことなのか。

ナム・ユンホ論説委員



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