生産活動を中断してから3カ月経過した開城(ケソン)工業団地の問題を議論するため、ついに南北当局が会うことになった。あす南北当局は板門店(パンムンジョム)北側地域の統一閣で局長級の実務会談を行う。北朝鮮が企業と開城工業団地管理委員会の関係者が開城に入り、工業団地の機材・資材管理問題などについて協議しようと提案したのに対し、韓国政府が同意したことで、会談が開かれることになった。ただ、政府は会談場所を北側が提案した開城ではなく板門店に修正提案し、北側もこれに同意した。紆余曲折の末に開かれる会談であるだけに、開城工業団地の早期再開のための合意があることを祈る。
今回の会談が開かれるまで、南北当局間ではまた神経戦があった。一方的に工業団地を中断させた北側が何事もなかったように再開しようという意図に対し、韓国政府の抵抗感があった。北側も再度開城を会談場所に提案するなど対抗したが、結局、政府の提案に最終同意した。北側が譲歩したと映る部分だ。それだけ北側も開城工業団地の再開を切実に望んでいるという傍証なのかもしれない。
北朝鮮は何かあれば南側の人たちの通行を一方的に制限または遮断する方法で、開城を対南政治的圧力手段として活用してきた。こうした態度は開城工業団地の安定的発展を基本的に難しくさせてきた。政府は今回の会談で、北側が間違った態度を繰り返さないという保証を受けようとしている。北側が適切に受け入れる考えがなければ、会談の見通しは暗くなるしかない。北側の前向きな姿勢を求める。
政府は3カ月間にわたり苦しんできた入居企業側の心情を考える必要がある。2日前、一部の企業関係者は開城事業場の設備を開城以外の地域に移転できるようにしてほしいと訴える記者会見を開いた。南北当局間の神経戦に拘束され、バイヤーも失い、生産設備も使用できなくなるのをただ眺めていなければならない状況から出た絶叫だった。政府は北側をできる限り説得することで、一日も早く工業団地を安定した環境で再稼働させるという強い意志を見せなければならない。
開城工業団地は南北が平和を定着させ、共同繁栄の土台にするというビジョンで造成されたところだ。04年に南側工場が稼働を開始して以来、紆余曲折の中でも着実に発展してきた。今回の事態になるまで工業団地には123社の南側企業が約5万人の北側労働者を雇用し、年間5億ドルにのぼる物品を生産していた。発展が続けば遠からず南北共同繁栄のビジョンを名実ともに具現する現場がなる可能性が十分にある。南北当局はこうしたビジョンを改めて確認しながら会談に臨んでほしい。開城を持続的に発展させることが、南北間のその他の問題の解決にも寄与するということを銘記する必要がある。
今回の会談が開かれるまで、南北当局間ではまた神経戦があった。一方的に工業団地を中断させた北側が何事もなかったように再開しようという意図に対し、韓国政府の抵抗感があった。北側も再度開城を会談場所に提案するなど対抗したが、結局、政府の提案に最終同意した。北側が譲歩したと映る部分だ。それだけ北側も開城工業団地の再開を切実に望んでいるという傍証なのかもしれない。
北朝鮮は何かあれば南側の人たちの通行を一方的に制限または遮断する方法で、開城を対南政治的圧力手段として活用してきた。こうした態度は開城工業団地の安定的発展を基本的に難しくさせてきた。政府は今回の会談で、北側が間違った態度を繰り返さないという保証を受けようとしている。北側が適切に受け入れる考えがなければ、会談の見通しは暗くなるしかない。北側の前向きな姿勢を求める。
政府は3カ月間にわたり苦しんできた入居企業側の心情を考える必要がある。2日前、一部の企業関係者は開城事業場の設備を開城以外の地域に移転できるようにしてほしいと訴える記者会見を開いた。南北当局間の神経戦に拘束され、バイヤーも失い、生産設備も使用できなくなるのをただ眺めていなければならない状況から出た絶叫だった。政府は北側をできる限り説得することで、一日も早く工業団地を安定した環境で再稼働させるという強い意志を見せなければならない。
開城工業団地は南北が平和を定着させ、共同繁栄の土台にするというビジョンで造成されたところだ。04年に南側工場が稼働を開始して以来、紆余曲折の中でも着実に発展してきた。今回の事態になるまで工業団地には123社の南側企業が約5万人の北側労働者を雇用し、年間5億ドルにのぼる物品を生産していた。発展が続けば遠からず南北共同繁栄のビジョンを名実ともに具現する現場がなる可能性が十分にある。南北当局はこうしたビジョンを改めて確認しながら会談に臨んでほしい。開城を持続的に発展させることが、南北間のその他の問題の解決にも寄与するということを銘記する必要がある。
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