来月21日まで国立現代美術館の徳寿宮(トクスグン)館で開かれている『柳宗悦』展は、論争的な展示ではないが世間の評価が大きく交錯している模様だ。周到に準備した展示だが、歴史的評価をはっきりと明らかにしておかなかったとして「美術館の責任放棄だ」と非難する声もなくはない。なぜそうなのだろうか。
柳宗悦(1889~1961)は、日本を代表する近代工芸運動家だ。彼は日帝強制占領期間、誰も注目しなくなった朝鮮の工芸品を熱心に収集し、分析し、文を書き、そのため戦後の韓国社会にまで広範囲な影響を及ぼした。
したがって政治的分析を排除して彼を眺望すれば“朝鮮を愛した日本人”となり、政治的分析に重きを置けば朝鮮を“軟弱で受動的な植民地”として眺めることで植民地支配イデオロギーの一助となった東洋主義者という評価が出てくる。どちらの顔が真実なのであろうか。
今回の展示には、彼の真の姿がよくあらわれている。柳が朝鮮の工芸と美術に関心を傾けた目的や動機は、植民地支配を強化しようとするものでもなかったし、朝鮮の文化に片思いしたせいでもなかった。
2つの大戦の間、彼は英国の美術工芸運動に傾倒していたし、実際に美術工芸運動の主役だったバーナード・リーチ(Bernard Leach・1887~1979)と密接に交流して影響を与え合った。
日本人民芸運動家の『柳宗悦』展が韓国で…工芸運動の観点から再解釈(2)
柳宗悦(1889~1961)は、日本を代表する近代工芸運動家だ。彼は日帝強制占領期間、誰も注目しなくなった朝鮮の工芸品を熱心に収集し、分析し、文を書き、そのため戦後の韓国社会にまで広範囲な影響を及ぼした。
したがって政治的分析を排除して彼を眺望すれば“朝鮮を愛した日本人”となり、政治的分析に重きを置けば朝鮮を“軟弱で受動的な植民地”として眺めることで植民地支配イデオロギーの一助となった東洋主義者という評価が出てくる。どちらの顔が真実なのであろうか。
今回の展示には、彼の真の姿がよくあらわれている。柳が朝鮮の工芸と美術に関心を傾けた目的や動機は、植民地支配を強化しようとするものでもなかったし、朝鮮の文化に片思いしたせいでもなかった。
2つの大戦の間、彼は英国の美術工芸運動に傾倒していたし、実際に美術工芸運動の主役だったバーナード・リーチ(Bernard Leach・1887~1979)と密接に交流して影響を与え合った。
日本人民芸運動家の『柳宗悦』展が韓国で…工芸運動の観点から再解釈(2)
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