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【コラム】2020年に月に太極旗を立てるには(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版
大気圏の向こうの宇宙を私が初めて見たのは1969年7月20日だ。 白黒の真空管、古いテレビに映し出されたニール・アームストロングの月着陸の場面でだ。 画面は揺れ、宇宙飛行士の動作も遅く、小学生だった私はあまり興味を感じなかった。 最近は空想科学(SF)映画の影響で他の星も身近に感じるが、実際、月への旅は今でも難しく、当時は不可能に近かった。 米国のこうした成就が「スプートニクショック」のために可能だったというのはもう常識になっている。

ロバート・ラニアウが書いた「スプートニクと宇宙時代の起源」によると、ショックという言葉がそのまま身に迫っていたという。 57年10月4日金曜日、ワシントンの駐米ソ連大使館レセプションに集まった米国科学者は、ソ連の科学者が「私たちはまもなく衛星を打ち上げる」と話すと、あざ笑った。 しかしその日、本当に人類初の人工衛星スプートニク1号が打ち上げられた。 1カ月後、「ライカ」という犬を乗せたスプートニク2号がまた打ち上げられた。 54年12月からソ連政府が全力投球して成し遂げた成果だった。

米国の絶望と憤怒はアイゼンハワー大統領に向かった。 「笑うだけのバカ」「ゴルフばかりする大統領」などの非難があふれた。 米政府が急いで57年12月6日、初の人工衛星打ち上げを試みたが失敗した。 内部の議論も激しくなった。 翌年2月4日に筋道がついた。 アイゼンハワーは航空宇宙局(NASA)の創設を決定した。 NASAの誕生だ。 それでもソ連は攻勢を続けた。 61年4月21日、ガガーリンが宇宙船に乗って地球軌道を旋回した。 その自負心は、今でもモスクワ市レニンスキー通りに高くそびえるガガーリン銅像で形状化されている。 初の衛星、初の宇宙飛行士競争で敗れた米国は切歯腐心した。 (中央SUNDAY第308号)

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