喪失の地だった竜山(ヨンサン)米軍基地が癒しの公園として生まれ変わる。国土海洋部は23日、ソウル・竜山公園の設計公募で、「未来を指向する癒しの公園(Healing-The Future Park)」を当選作に選定したと明らかにした。世界的な設計事務所のオランダのウェスト8と韓国の有名建築家のスン・ヒョサン代表率いる建築事務所の履露斎(イロジェ)によるコンソーシアムの作品だ。
竜山公園は初の国家公園で面積は243万平方メートルだ。京畿城南市盆唐(キョンギド・ソンナムシ・プンダン)の栗洞(ユルドン)公園の263万平方メートルよりやや小さいがトゥクソム一帯を公園化したソウルの森の116万平方メートルの2倍の大きさだ。米軍施設は平沢(ピョンテク)に移転するが米大使館とドラゴンヒルホテルなど一部は公園北側に残ることになる。梨泰院(イテウォン)側の国連軍司令部と輸送部の敷地などは複合施設地区として開発される。公園造成工事は2017年に始まり2020年に完全な形態の公園として市民を迎えることになる。総事業費は1兆2000億ウォン(約853億円)だ。
ウェスト8と履露斎のコンソーシアムは竜山基地の辛い歴史をぬぐい去る代わりに、残し、感じ、刻む方式の癒しを選択した。竜山は朝鮮末に日本人居住地として使われ始め、日帝時代は日本の兵営として、解放後には米軍基地として使われた。日帝兵営・監獄と一部米軍施設は歴史性を生かして保存する。取り壊される建物の主要地点には小さな標石を残しどんな形態の建物があった場所なのかわかるようにする計画だ。南山(ナムサン)から竜山につながる山の斜面が復元され、公園のあちこちに小川が作られる。漢江(ハンガン)大路など大通りが隣接する地域特性を考え公園内の道にはカササギの模様が彫られた「烏鵲橋(オジャッキョ)」が作られる。
内外の著名な設計事務所や建築家で構成された8チームが参加した公募競争も激しかった。1位のウェスト8と履露斎コンソーシアムは今後45億ウォン規模の公園基本設計を引き受けることになる。基本設計は当選作を基にするものの国民の意見を取りまとめて作る計画だ。ロンドンのオリンピックパークを設計した米国の有名設計家のジェームズ・コーナーとサムスンエバーランドのコンソーシアムは3位に終わった。
竜山公園は初の国家公園で面積は243万平方メートルだ。京畿城南市盆唐(キョンギド・ソンナムシ・プンダン)の栗洞(ユルドン)公園の263万平方メートルよりやや小さいがトゥクソム一帯を公園化したソウルの森の116万平方メートルの2倍の大きさだ。米軍施設は平沢(ピョンテク)に移転するが米大使館とドラゴンヒルホテルなど一部は公園北側に残ることになる。梨泰院(イテウォン)側の国連軍司令部と輸送部の敷地などは複合施設地区として開発される。公園造成工事は2017年に始まり2020年に完全な形態の公園として市民を迎えることになる。総事業費は1兆2000億ウォン(約853億円)だ。
ウェスト8と履露斎のコンソーシアムは竜山基地の辛い歴史をぬぐい去る代わりに、残し、感じ、刻む方式の癒しを選択した。竜山は朝鮮末に日本人居住地として使われ始め、日帝時代は日本の兵営として、解放後には米軍基地として使われた。日帝兵営・監獄と一部米軍施設は歴史性を生かして保存する。取り壊される建物の主要地点には小さな標石を残しどんな形態の建物があった場所なのかわかるようにする計画だ。南山(ナムサン)から竜山につながる山の斜面が復元され、公園のあちこちに小川が作られる。漢江(ハンガン)大路など大通りが隣接する地域特性を考え公園内の道にはカササギの模様が彫られた「烏鵲橋(オジャッキョ)」が作られる。
内外の著名な設計事務所や建築家で構成された8チームが参加した公募競争も激しかった。1位のウェスト8と履露斎コンソーシアムは今後45億ウォン規模の公園基本設計を引き受けることになる。基本設計は当選作を基にするものの国民の意見を取りまとめて作る計画だ。ロンドンのオリンピックパークを設計した米国の有名設計家のジェームズ・コーナーとサムスンエバーランドのコンソーシアムは3位に終わった。
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