国民は今、列車に不信感を抱いている。2月の1カ月間、KTX列車の事故だけで4回。大事故につながるところだった脱線(11日)をはじめ、バッテリーの故障(6日)、熱感知センサーの誤作動(25日)、機関の故障(26日)など類型もさまざまだ。KTXだけではない。京仁(キョンイン)線・京義(キョンウィ)線・京春(キョンチュン)線でも事故が相次いだ。定時性を生命とする列車で遅延と延着が日常的に起きている。過去のビドゥルギ(鳩)号や統一(トンイル)号の時代は、列車が延着したり途中で止まっても性能や技術力の面で了解された。今は時速300キロ台を走る高速列車時代だ。日本の新幹線、フランスのTGV、ドイツのICEはわずか10秒の延着でも「事故」と規定するという。人が負傷し列車が倒れる惨事だけが事故ではない。
最高経営者が「小さな事故」と安易に考えていれば、決して対策は出てこない。国民は不安を感じているのに、「何をそんなに心配しているのか」という態度だ。これだから職員はその場しのぎに汲々とし、事故がずっと続く。誰一人として責任を取る人もいない。「コレイルの職員も許社長と同じ考えをしているはずだから、この人たちを信じて高速列車に乗らなければいけないと考えるとぞっとする」という市民の反応も納得できる。
最高経営者が「小さな事故」と安易に考えていれば、決して対策は出てこない。国民は不安を感じているのに、「何をそんなに心配しているのか」という態度だ。これだから職員はその場しのぎに汲々とし、事故がずっと続く。誰一人として責任を取る人もいない。「コレイルの職員も許社長と同じ考えをしているはずだから、この人たちを信じて高速列車に乗らなければいけないと考えるとぞっとする」という市民の反応も納得できる。
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